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 まだまだ残暑の厳しい九月。
 二学期早々始まった生徒会選も、部活の引退式もつつがなく終わり、三年生はこれから受験へと突き進むことになる。そして後を任された二年生はというと。
「やった……」
 私――上原望――は職員室の扉の前でにんまり笑い、拳を握り締めた。
「やっと、やっとこれで、皿洗い役から卒業できる……!」
 廊下を通り過ぎる人が不審そうな目でこっちを見たけれど、そんなの気にしていられない。この瞬間を一年間待ち続けたのだから。
 もちろん頼りになる先輩を失って嘆く部もあるだろう。でも私の場合それは当てはまらなかった。
 私の所属する調理部員は計八名。三年生が七人、そして残りの一人が二年生の私。
 この一人というのが運が悪かった。後輩が雑用をやらされるのは、どこの部活でも宿命のようなものかもしれないけれど、私がこの調理部に入部して、今の今まで経験したことといえば材料調達と皿洗い、その他雑用のみ。しかも、全員が全員、遠慮なく仕事を押し付けるのだ。
 一度ダメもとで手伝ってくれないか、直談判してみたことはあるのだけれども、やっぱり無駄だった。
「あんた、よく辞めないよねえ。奴隷っていうか、働き蜂みたい」
 友達にからかいまじりに何度もこの言われたセリフ。我ながら、良く耐えたと思う。うちの学校で『働き蜂』だなんて、笑えないのだ。

 私の通う私立 六堂寺学園は通称ハニカムと呼ばれている。
 由来はそのまんま、honeycomb――つまり、蜂の巣、だ。校章をはじめとして、校内のモチーフに六角形のものが多いから、という理由らしい。
 だけど、この辺りの地域の進学校がここ一校のみだった頃、勉強ばかりしている六堂寺の生徒を指して、周辺校の生徒たちが「まるで働き蜂だ」と揶揄したのがきっかけという噂もある。

 勉強で『働き蜂』ってのなら、まだ救いがあるような気がする。
 でも、私の場合は本当にこき使われてただけだ。おかげでどこの店がどの曜日に安売りをしているか、そこらの主婦より詳しくなった。両手一杯買い物袋を持ち歩いたせいか、ちょっぴり腕が逞しくなったりもした。けれど買い物上手になるために調理部に入ったわけではないし、まして腕が太くなって喜ぶわけがない。まったく嬉しくない。
 あと少し、あともう少し待てば、先輩はいなくなるのだから。そう自分に言い聞かせ続けて、この日を迎えたわけだ。頑張って我慢してきたんだから、多少喜んだって罰当たらない、はず……たぶん。
 深呼吸してから、手持っていた一枚の紙に丁寧に目を通す。部活動をやる上で、まず提出しなければならない大事な書類、これからの先一年間の活動予定書だ。記入は面倒くさいが、これを書けるのは部の代表者という証でもある。
 記入漏れなどが無いことを念入りに確認してから、意気揚々と職員室の扉を開けた。探すまでも無く、顧問の先生の姿が目に入る。
 調理部顧問の染井先生は、今年から赴任してきた日本史担当の先生だ。それほど日焼けしていない肌に、色素の薄い栗毛の髪、まだ学生といっても十分通るくらいの童顔。目尻が下がっているせいもあって、常に笑っているような、全体的にふわりとした雰囲気を持っている。実際、性格も温和だ。若いし優しいし結構格好良い、ということで女生徒には人気がある。ただし、目玉焼きさえ作ったことが無いという調理とはまったく無縁の人物だった。
 新任だから、うちみたいな規模の小さな部の顧問を押し付けられたんだろうと思う。かわいそうに。
「上原、どうしたの」
 染井先生は私に気付くと、動かしていた手を止めてにっこりと人懐こい笑みを浮かべた。
「これ、活動予定書を提出しに来たんです」
 用紙を差し出すと、先生の眉が見事にハの字になった。これは間違いなく困っているという表情だ。
「先生?」
「上原、もしかして生徒会からのお知らせ読んでないの?」
「え? なにか、ありましたっけ?」
「二週間後の予算会議の話、ホントに知らない? 予算削減案のことなんだけど……」
 と、年齢のわりに幼く見えるその顔に悲しい表情が浮かぶ。
 大事なお知らせなんてあったっけ、と首を捻っていると、染井先生は実に言い難そうに話を切り出した。
「あのさ、今度の会議で部員数五名以下の部を対象に、今後存続する価値があるかどうか決を取って……」
「決を取って?」
「存続価値無しって決まったら、廃部にされることになっちゃったんだ。ほら、うちは上原一人しか居ないから……」
「ははは、そんな……冗談、でなく?」
「残念ながら」
 これでは三日天下、じゃなく、二週間天下。しかもまったく笑えない。
 これが昼のドラマだったら、この場でばたーんと倒れこんでいるところだ。
 どんなに苦労しても我慢しても、現実はこんなもんだぜと見せ付けられた気分。いたいけな女子高生にはまだ、こんな現実はハードすぎるだろうよ、神。
「あの、上原? 聞いてる? だ、大丈夫?!」
 ああ先生の声がすごく遠い。
 ――つか、もうほんと、倒れたい。
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