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 午後の授業もLHも終わって、さあ後は帰宅か部活か、という時間帯。いつもならこの辺で鈴村君の呼び出しがかかるはずなのに、今日はなぜかそれがなかった。まさか調理室前で待ち伏せかと思ったけれど、それもない。
 お昼の買出し分で満足できたのかも、それなら試作品作りでもしようかと準備を始めていたら、ノックなしでがらりと扉が開いた。
 普通は入室する前にノックとか声をかけたりするものだ。こういう非常識かつ横暴なことをする輩で、すぐに思い当たるのは二人しかしない。どっちだろうと思っていたら、最悪なことに二人揃って入ってきた。くっ、油断していたらこれか。
「あー、そういう顔よくないなー、上原さん」
 湯川君は私の顔を見るなり、ちちち、と人差し指を左右に振る。
「せめて、外で振りまいてるあのうそ臭い笑顔で迎えてよ」
「うそ臭くて悪かったね。二人揃って、こんなところに来ちゃまずいんじゃないの」
「廃部対象の部の見回りだよ。活動に励むのはいいけれど、やりすぎたりしないようにね。一通りまわってきて、最後が調理部ってわけ」
 ああそうと返事をする前に、鈴村君が財布を取り出して、私の目の前に千円札をぴっとかざした。
「……鈴村君、せめて日本語を使おうよ」
 喋るのも面倒くさいってわけか。
「俺も俺も。働いたから、喉かわいちゃって。あ、いつものとおり、お茶ね」
 こっちはこっちでよく喋るし。そもそも聞いてないし。
 もう習慣になってしまったため息をついてから、試食の時に使うテーブルの傍に行き、二人分の椅子を引いた。
「とりあえず座って」
 口答えは許さん、という気合で睨んだら、二人は素直に席についた。
 湯川君には普通に紅茶を淹れてあげて、ことりと彼の前に置く。
 そして、鈴村君には――
 ちょっとどきどきしながら、冷蔵庫を開けた。中にどかんと鎮座しているのは青色のポリバケツ、サイズ小。朝仕込んでおいたは、これなのだ。
 それをそうっと取り出して中を確認してみる。
 青い原色のバケツの中で、乳白色のプリンがぷるぷる揺れている。それと同時にむせかえるような甘いにおいが鼻に流れ込んできた。
 うえ。
 思わず口から声が漏れる。
 自分で作っておいてなんだけど、なんて気持ち悪い代物だろ。匂いのせいもあるけど、大きさが変わっただけでこんなにも印象が違うものなんだ。知らなかった。
 まだしっかりと固まってないかな。このまま中身をひっくり返したら、プリン自身の重みで崩れるかも……仕方ない、これはこのままバケツごと食べさせることにしよう。
 胸に込み上げてくるものをこらえつつ、うんしょと持ち上げたら、想像以上に重くて腕がプルプルした。
 それをテーブルのところまで持って行き、どん、と鈴村君の前に置く。
「……上原さん、なにやってんの」
 すごいもの作ったね、と湯川君はバケツの中身を覗き込む。鈴村君も中を確かめたけれど、相変わらず無言だ。
 スプーンの代わりに用意したのは、汁物をよそうときに使うお玉。それをバケツの横にセットして、さあどうぞ、と鈴村君の前に差し出す。
 お玉ですくって食べるといいわ! 残したりしたら承知しないわよ!
 と、女王様的気分で様子をうかがっていたのだけれども、彼は手に取ったお玉を少しの間見つめてから、おもむろにそれをテーブルの上に戻した。
 あれ? やっぱりこれはさすがに屈辱的過ぎたか。
 拍子抜けしている私の目の前で、鈴村君は両手でしっかとバケツを掴み、それを顔の位置まで持ち上げた。そして、ずるずるとまるでスープでも啜るように音を立てて飲み込み始めたのだ。
 付き合いが長いらしい湯川君も、さすがにこれには驚いているようで、カップを手に持ったまま動きが完全に止まっていた。
 鈴村君がプリンを飲みこむ――飲むってのがそもそもおかしいんだけど――彼の喉仏の部分が別の生き物のように上下に動く。休む様子もなく、バケツの底はどんどんどんどん持ち上げられていく。それにつれて中身もぐんぐんと減っていく。
 ほぼ逆さに近い位置にまで掲げたその直後、鈴村君はバケツを勢いよく机の上に置いた。
「上原お前、仮にも調理部員を名乗ってるくせに、市販のプリンミックス使ったな」
 偉そうにそう告げてから、ハンカチで口を拭う。
 数秒置いて、湯川君が腹を抱えて笑い出した。
「そうじろ……っ、おま、お前プリン飲むなよ! それは食うものであって、飲むものじゃねーだろが!」
 ぎゃあぎゃあと涙まで流して笑い転げる湯川君は放っておいて、おそるおそるバケツを覗きこむ。
 真っ青だ。ポリバケツの色しかない。プリンの食べ残しなどはなく、中はきれいさっぱり空になっていた。
 空っぽにしてから文句言うな! ……っていうかさ。ちょっと待て待て、待て!
「ま、まさか、本当に食べるなんて思わなかっ……た……」
 化け物だよ。そこまでいくと化け物並だよ。
 キモイ、と本音を漏らした瞬間、すさまじい眼光がこちらを射抜いてきたので慌てて口を塞いだ。
 本気で引いた。キモすぎる。この人、私の想像の範疇を思い切り超えている。
「だがいい考えだな、これは。明日から頼むことにしよう」
 青ざめる私に、鈴村君はすっかりいつもの涼しい顔に戻って言った。
「たのむってなにを?」
「安心しろ。手間賃を含めて材料費は払う」
 それはもっと作れということか。この手のものを。
 パシリから専属料理人へのレベルアップか――って、そんな問題じゃあないし、ちっとも嬉しくない。
「いやあのこれ、冗談のつもりだったんだけど」
「いいじゃん。調理の練習になるし、技術向上に役立つんじゃない?」
 湯川君、君は黙ってろ。そこで永遠に笑い転げてろ。
「拓海の言うとおりだな。買いに行く手間が省けるし、一石二鳥じゃないか。それに購買部で変な噂を立てられることもないだろう」
 鈴村君は一人でウンウンと頷いて、勝手に納得している。
 すでに決定事項なのか。私の意見なんて全く聞いてないみたいだしさ。あざ笑ってやるつもりでやったのに、倍返しになって返ってくるなんて……くそう!
 へなへなとテーブルの上につっぷした私に、「ああ、そうだ上原」と、鈴村君が声をかけてきた。
 まだなにかあるのかとしぶしぶ顔を上げる。
「なに」
「さっきのプリンだが、なめらかさが足りなかった。次からはもう少し気を使え」
 何度も言うようだけど、空っぽにしといてそれか。
 そういうこと言うのか。
「……すずむら」
 もう。もう、あんたなんか、呼び捨てで十分だ。
「なんだ」
「なんだじゃない! 味わうどころか飲み干しただけのくせに偉そうに言うな!!」
 怒鳴ったって、鈴村は相変わらずの無表情だし。隣の湯川君は無神経に笑いし始めるし。
 悔し紛れに手元にあったお玉を投げつけてみたら、二人ともいとも簡単に避けやがって、お玉はからんと間抜けな音を立てて床に落ちた。それがまた湯川君の笑いのツボにはまったらしく、調理室内に馬鹿笑いが響き渡る。
「もういやだ、さいあくだあんたら二人はあああー!!!」
 わたしにできることはといえば、再び机につっぷして、顔を覆って――
「現実逃避するなよ、上原」
 ――とりあえず、泣いた。

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