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「一緒に行っていい?」
 鈴村が美術部の様子を見に行くというから、そう尋ねたら「野次馬か」という一言と、完全に見下しているだろう視線をいただいた。
 ここで『すみませんでした』と頭を下げるのが、前までの私だ。
 でも、この視線の鋭さにも耐性が付いてきたから、多少怯みつつ「そうだよ」と開き直ると、鈴村はちょっと眉を顰めてから、無言で先を歩き出した。駄目と言われなかったから、付いていっていいんだろうと判断して後に続くことにする。
 会話はまったく無くて、お互いに無言。鈴村の背中が怒っているような気配を漂わせていたから、あえて話しかけることもしなかった。ただ、なんで怒っているのかなと、そればかり考えていた。
 単純に部室荒らしのせいか、それとも私が付いていきたいと言ったせいか。どっちも理由としては十分可能性がありそう。
 だけど、機嫌が悪そうなわりには、置いていったりはしないんだよね。
 鈴村と私の足の長さを考えると――意識して早足をしないと付いていけないんじゃないかと思うけど、私は今、いつもどおりの速度で歩いている。となると、鈴村が気を使ってる? ってことになる。
 これも弱みを握ってるからなのかなぁ。だとしたら、少し、嫌な気分かも。
 ぼんやりとそんなことを考えながら、鈴村の背中を見つめていた。

 美術室は特別教棟の三階にある。同じ階には美術準備室と、倉庫代わりの空き教室があるだけで、授業と部活以外で生徒がここに来ることはほとんどなく、常に人気がない場所だ。
 教室前には先に来ていたらしい拓海君の姿があった。部長の北村さんと話していたけれど、こちらに気付き、笑顔で片手を挙げた。
「やっぱ望ちゃんも来たわけ」
「そりゃあ……気になるし」
 こっちにも野次馬根性を見透かされたっぽい。
 ちらりと北村さんを見ると、困りきった表情で腕を組んでいる。他人の不幸になんてやつ、と思われそうだけど、好奇心で来てしまったのは本当のことだから仕方ないか。
「拓海、被害は?」
 鈴村が手短に尋ねると、拓海君は軽く肩をすくめた。
「金銭被害はゼロ。部費が入ってる金庫は無事だったって。被害のほとんどが画材の破損で、半分くらいやられてるらしい。なにより美術部的に一番痛いのは、次の展示会に出す予定の絵が」
 と、人差し指で宙にバッテンのしるしを描く。
「キャンバスを、こう、ざっくりと。刃物でね。ま、見てもらった方が早いと思うけど」
 鈴村は拓海君が言い終るのを待たずに、ずかずかと室内に入って行った。思わず私もそれに続きかけて、半歩足を踏み入れたところで止める。入っていいわけ?――と拓海君の顔を覗き見ると、どうぞ、という仕草で中に入るよう促された。
「おわ……」
 教室に入って第一声、思わず声が出た。
 真ん中あたりに並べられていたはずの机や椅子は、蹴り飛ばされたのか端の方に転がっているし、後ろの棚に並べてあった胸像は、明らかに数が足りない。床に目をやると、黒板の下の辺りに壊された画材が集められていた。その中に顔が欠けたり、首のところからもげてしまった胸像もある。なんだか化けて出てこられそうなほど無残な有様だ。
 部屋の一角には、数人の美術部員が居て、イーゼルに立てかけられたキャンバスを囲んでいた。正面から回り込んでみると、拓海君の言っていたとおり、描きかけの風景画が大きなバツの形で引き裂かれていた。悪戯にしては、あまりにタチが悪すぎる。悪意むき出しという感じで、寒気がした。
「いつもこうして、作品を美術室に置きっ放しにしているのか?」
 鈴村がきつい口調で言う。
「荒らした奴が一番問題だが、これだと自業自得だと判断されても文句は言えないからな」
「部で使うものは、きちんと部室に片付けなきゃいけないのは分かってたんだけど、つい、ね。美術室って、授業以外ではうちの部しか使わないから、まあいっかって」
「これ、北村さんが描いたやつでしょ?」
 拓海君は破れた箇所を指でつつきながら尋ねた。うん、と北村さんが頷く。
 その態度がやけに飄々とした感じだったから、ちょっと驚いた。
 他の美術部員で個人的な被害を受けた人はいないらしいけれど、ショックを受けているようで、皆一様に暗い顔をしていた。辺りを包む空気まで重い。なのに、絵を描いた北村さん本人は、淡々とした様子で、目の前の状況を受け止めているように見えた。
「大してショックを受けてないみたいだな」
 と、鈴村が尋ねる。どうやら私と同じことを感じたらしい。
「練習用の作品なのか?」
「秋の展示会用よ。県が開催するやつだから、結構本気度高いやつだったんだけど」
 北村さんは言って、苦笑いした。
「この状態見た直後はさすがにショックだったけどね。実は、題材とか構図とか、納得いっていなかったの。描き直せる機会ができたんだから良かったんだって、いい方向に考えることにしたわけ」
 他の美術部員たちは、そんなことはない、とか、いい作品だったのに、とか、口々に残念がっている。
 破れた部分だけ見ても、それは確かにきれいな風景画で――といっても私自身に芸術の感性はないから評価なんて出来ないけど――駄目な部分なんてどこにあるの? と尋ねたいぐらいだ。
 同意を求めようと拓海君の方を見ると、顔に笑顔を張り付かせたままで、絵ではない別の所を見ていた。
「聡二郎、清水が来てる」
 短くそれだけ言うと、顎で教室の入り口を示す。
 だれが来たって?と目をやると、戸口のところから顔だけを出して、様子を伺っている女の子がいた。きつい感じのする目の――昨日、階段でぶつかった人だ。
 その時ふと、記憶の中で『清水』って名前に引っかかりを感じた。どこかで、確かに聞いたことがある。うん、間違いない。ええと、栞あたりと話していて……聞いたんだっけか。
 記憶を探っていると、鈴村が小さな声で耳打ちしてきた。
「新聞部の清水だ」
 声音だけでもかなり不機嫌になっているのが分かる。それに、伝わってくる気配がなんか痛い。そして寒い。隣からひんやりとした冷気が漂ってきている。
 なんだこの不穏な空気は。
 落ち着かない気分でそわそわしていると、清水さんは「入室禁止じゃないでしょ?」と声をかけてから中へ入ってきた。
「湯川君も鈴村君も、来てたの」
「まあ俺たち、生徒会長、副会長だし。清水さんこそ、もう嗅ぎ付けてきちゃったんだ?」
 拓海君の口調もなんだか嫌味っぽい。鈴村と違って晴れやかに笑っているんだけれど、トゲがあるというか、わざとやっているように見える。
 でも清水さんも負けていなかった。怯むことなく「まあ、新聞部だし?」と拓海君の口調をそのまま真似して、くすりと笑った。
「こっちにもそれなりの情報網はあるから。それよりも……」
 と、清水さんは私の方に向き直る。
「調理部の、上原さん? は、どうしてここに? このこと、まだ公になってないんじゃないの?」
 疑っていますよといわんばかりの視線が痛い。
 好意は抱かれて無いだろうなあと思ってた、けど。第一印象も最悪だったと思うけど!
 あー、脇の辺りに変な汗かいてきた。
「あ、あ? うん、私は……」
「一応、正式に被害が判明するまで口外するなと注意してあるが、もう噂レベルで広がりつつある。『それなりの情報網』なんてひけらかすまでも無いほどにな。実際、上原も騒ぎが気になって見に来た野次馬の一人だ」
 私の言葉にかぶせるようにして、鈴村が答える。
 適当な言い訳が思い付かなかったから、正直助かった――でも喧嘩を売るな、喧嘩を。
 案の定、清水さんは気分を害したようで、顔を歪めて言った。
「わたしは、鈴村君じゃなくて上原さんに聞いてるんだけど?」
「誰が答えても変わらないだろ。嫌ならもっと質問の仕方を考えたほうがいいんじゃないか」
「……鈴村君は、弁護士か政治家目指せば? 性格的に、すごく向いてると思う」
「そっちはせいぜいゴシップ誌の三流記者どまりだな。負け惜しみを言うようじゃ、所詮その程度だ」
 ぴく、と清水さんの口の端がひくついた。なんとか笑顔を保とうとしているみたいだけど、目が据わっていて笑った顔になってない。怖い。
 無言の睨み合いが続く。数秒後ギブアップしたのは、鈴村でも清水さんでもなく、私自身だった。
「そういやさあ! ほら、剣道部の方も被害にあったって聞いたけど! どうだったんだろうね!?」
 あまりの空気の重さに耐えられなくて、慌てて二人の間に割って入る。
 我ながら自己犠牲の精神にあふれているなあと思う。本当、泣きそうなくらい。
 誰がどう見ても不自然な会話のそらし方な上に、へらへら笑っている自分がすごく惨めになってくる。そんな風に必死になっている私とは対照的に、拓海君が平然とした様子で答えた。
「それなら、ここに来る前、剣道部の部長と話してきたよ。棚に並べてあったものが荒らされてたけど、特になにかを壊されたり、盗まれたりはしてないってさ。ここの被害に比べれば、ぜんぜん大したことないっぽい」
「ああそう、そうなんだ」
 大げさなくらいに首を縦に振って頷く。本当のところ、拓海君の話の内容なんてほとんど頭の中に入っていない。ただ、この場から逃げるきっかけさえあれば良かっただけだ。
「なるほどね。ありがとう、よく分かった。んじゃ、私はこれで」
 会話をぶった切って、くるりと体を半回転し、そのまま振り返らず教室を出た。
 非常識な奴とでもなんでも思ってくれ。あんな空気に耐え切れるほど、私の心臓は鍛えられてないんだからしょうがない。不吉で不穏な場からは、さっさと離れるに限る。一刻も早く、一目散に逃げないと――
「ちょっと!なんで二人とも一緒について来てんの!」
 きぃっと叫びながら、後ろを振り返る。一歩下がった位置で、左右両脇にぴったりついてくるのは鈴村と拓海君だ。元凶が付いてきてどうするよ。逃げてる意味ないじゃないの。
「現状は把握したから、もうあそこにいる必要もない」
「清水も来ちゃったから。面倒事になる前に撤退するのが一番ってわけで」
「だからって、私のすぐ後について来ることないじゃないの」
 そう言い捨ててから、ふいと前を向いて再び歩き出した。
 面倒事とか、清水さんのこととか。いくつかひっかかることはあったけど、聞かなかったことにする。厄介ごとは、この二人だけで十分、これ以上余計なことに関わっちゃ駄目だ。
 だけど私の決意を他所に二人はぴったりと後に付いてきた。振り切ってやるつもりで早足で歩いてみても、余裕で付いてくるんだから腹が立つったら。あれか。私の足が短いって、暗にそう言いたいのか、あんたらは。
 結局、二人は調理室までついてきて、当然のように中に入ってきた。私が調理台で準備をし始めると、その台の下に収納してあった椅子を取り出し、どっかと座り込んだ。
「プロの仕業じゃないな」
「十中八九、生徒だろーなあ」
 鈴村はすこぶる不機嫌そうな声で言い、拓海君は呑気そうな表情で笑って答えた。
 二人の会話にぴくぴくと私の好奇心が騒ぐ。
 ――生徒が犯人って、何を証拠に決め付けてるんだろ?
 表面上は気にしていないフリを装いつつ、内心首をかしげた。
「となると、今回の件だけでは学校側も通報はしないか」
「俺としてはさっさと捕まえて通報して、公開処刑っぽくやってやりたいんだけど。駄目?」
 ――オイ、なに可愛く言っちゃってんの。話の内容が恐ろしすぎて、ぜんぜん笑えないぞ生徒会長。
「教員たちは隠したがるだろうから、くれぐれも表向きはそれに協力する形にしろよ」
 ――認めちゃうのか。少しは止めろよ、それが仕事だろ副会長!
 頭の中で突っ込みを入れてから、はっとする。
 駄目だ。無視するどころか、しっかり二人の会話に参加しちゃってる。気になって気になって、仕方ない。聞きたい。会話に参加したい。うずうずしながら耳をダンボ状態にしていると、拓海君が私の横に並んで、顔を覗き込んできた。
「望ちゃんさぁ、話に入りたいなら無理せず入っちゃいなよ?」
 じと目で返すと、さらに顔を近づけてきて囁いた。
「鼻の穴が。横から見ても分かるくらい、ひくひくしてるよ」
 慌てて両手で鼻を覆う。と、拓海君はにやりと笑った。
「嘘だけどね」
 言って、ひょいと離れる。叩いてやろうした私の手は見事に空振りだ。
 鈴村も拓海君も、二人揃ってそれ見たことかという表情で私を見ている。悔しいけれど、ここまでバレバレなら、これ以上意地を張っても仕方ない。開き直って素直に話に参加することにした。
「なんで、生徒のしわざだって決め付けるわけ?普通に泥棒かもしれないじゃない」
「学校のロッカーなんて大した造りじゃない。プロの窃盗犯ならその程度すぐに開けるはずだ。いざとなれば力技でこじ開けることだって出来るだろ」
 と、鈴村は目を細めて言う。
 拓海君がそれに相槌を打ちつつ、先を続けた。
「それに、部活棟にはたくさん部が入ってるのに、その中から剣道部の部室だけ荒らすなんて妙じゃない?金銭的なものが目的なら、職員室を狙った方が効率いいだろうし。美術部だって、壊されたのがメインで窃盗の被害は微々たるもんだよ。こんな泥棒いるわけないじゃんか」
 そこまで言って、拓海君は鼻で笑った。
「もし変質者のしわざなら、もっと女の子の多い部を狙うだろうし。たとえば、もし俺なら新体操部とかチアリーディング部を狙うね」
 最後の方にまたまた笑えない話がさらりと混じってたけど。深く考えない、考えないぞ。
「じゃあ清水さんのことは? なんであんなに二人とも喧嘩売るわけ?」
「前に話したこと覚えてる? いちいち揚げ足取るウザイ奴がいるっての。その代表格が、あの清水なんだよ」
 ああそう言えば、そんなことも言ってたような。
「たぶんあの子の中では『権力に立ち向かい、真実を追究するアタシ』って理想像が出来上がってるんだろうけど、さっき鈴村が言ったみたいに、現実はゴシップ記者そのものだね」
「あの女の書く記事は、後先考えない中傷的な内容のものが多いからな。当然、こちら側としてはそんなものに掲示許可なんて出さない。そういうことを何度か繰り返しているうちに『私情で掲示許可を出している』と難癖をつけ始めたんだ」
「そーいうこと。んで、以降のメインターゲットは俺たちになったってわけ」
「それ、逆恨みじゃない」
 高等部に上がってすぐ、ずっと男しか居なかった新聞部に女の子が入った――って少し騒がれてたのは覚えてる。その子の名前が確か『清水』だった。たぶん間違いなく、さっき美術室であったあの清水さんのことだと思う。当時は『男ばかりの中で大変そう』とか『よっぽどやりたいことがあるんだろうなあ』とかちょっと感心してたんだけどな。
 考えつつ、流し台の下から取り出したボールを流水で洗おうとしたら、当たり所が悪くて流しの外まで水が飛び散ってしまった。
 うーん、気が荒れてると作業も荒れるな。
「……今度から、清水さんを見る目が変わりそう」
 二人の言うこと鵜呑みにするのも危険だけど、一度植えつけられたイメージって、なかなか消えないしなあ。
「生徒会が関わる全てのことにいちいち食いついてくるんだよな。分かる? このウザさが」
 たとえばさあ、と拓海君は上半身をぐっと乗り出してきた。
 その顔に浮かぶ笑顔がやけに凶暴だ。
「いくつかの部の予算を上げたり、部室改装の許可出したりしたら、賄賂みたいなのがあったんだろうって騒ぐし」
「たしか『生徒会は一般生徒より優遇されている』とか言い出した時は、役員全員つけまわされたな。家まで付けて来るから、通報するぞと脅してやったが。あれで反省したとは思えない」
「あ、あれね。しかも、個人的な家の事情までねちねちねちねちと……」
「それは全部まるきり捏造なわけ?」
 ――だとしたら、清水さん最悪なんだけど。
 尋ねた瞬間、二人の口がぴたりと閉じた。さっきまで人の声が響いていた室内が一気に静まり返る。
「なんなの! なんなの今の間は!?」
 バシバシと調理台を手で叩いて返事を催促したら、鈴村と拓海君は互いに顔を見合わせ、そしてほぼ同時に、肩をすくめた。
「理想と現実は違うんだ。全ての人間が真っ正直に生きていたら、とっくの昔に社会は破綻してるぞ」
「全校生徒何人いると思ってんの。そいつらまとめなきゃいけないんだから、多少の見返りがないとやってらんないじゃん」
「開き直り!? それじゃあ、不正してるのは事実なんじゃないの!」
「加担してる人間が何を言う」
「はっ!」
 鈴村にずばりと指摘される。
 そうだった。すっかり忘れてた。
「……私も、あんたらみたいに汚れた側の人間だったよね……」
「望ちゃん、失礼なこと言ってる自覚ある?」
「ないだろうな。上原は頭の働きが鈍いから」
 断定か、鈴村。
 せめて、鈍そうだ、にしてくれてもいいじゃないの。
「なんにせよさあ」
 と、拓海君が気だるそうな声音で言った。
「生徒会の枠を超えて、俺と聡二郎の個人的なことにまで干渉してくるんだよ。それはイタダケナイんじゃない?」
「まあ、ね」
 確かに、個人的な事情まで干渉するのは間違ってる。
 拓海君は「あーあ」と声を漏らして、だらりと調理台の上に突っ伏した。
「ぶっちゃけ、大きなヘマやらかして学校から消えてくれないかなとか思ったりもする」
「……言うだけならいいけど、実行しようとか……そういう風に手を回したりしないでよ」
 あんたら本気でそういうことやりそうで、怖いのよ。
 目の前の二人の様子を伺いつつ、ボールのなかに粉と水を入れ、適当に手でこねる。
 それに目を止めた鈴村が、難しい顔で首をかしげた。
「上原、何を作る気だ」
 そんな普通の質問を、今にも尋問でも始めそうな表情でしないで欲しい。
 作業していた手を止めて、粉の入っていた包装を鈴村に見せると、鈴村は小さい子供のような口調で書いてある文字を読み上げた。
「しらたまこ」
「うん。白玉、団子のもと」
 答えると、鈴村の眉間に皺が一本刻まれた。
「材料がないとか散々言っておいて、あるじゃないか」
「あ、いやいや、これは違……」
「黒蜜にきな粉の方が好みだが、腹にたまるので選ぶと餡だな」
「俺は黒蜜がいいけどねー」
 私の意見を聞きもせず、二人はどちらの味付けがいいかを語りだした。
 ていうかあんたらの好みなんて聞いてないし、知りたくも無いし、食べさせるなんて言ってない。
「人の話を最後まで聞け! これは、染井先生の分! 和菓子なら食べられるって言ってたから、なにかのついでに作ってあげよーって、白玉粉買っておいたの。二人に食べさせるためじゃないからね」
 粉の付いたままの手で、びしりと指差して言ってやると、鈴村が馬鹿にしきった表情で目を細めた。
「やるだけ無駄だな」
「無駄? 無駄じゃないでしょ、染井先生には助けてもらってるもん」
「助け? 会議に出席するわけでもなし、影響力があるでもなし、特に有利になることをしてくれるわけでもなし――あれがいったい何の助けになってるんだ?」
「そういうんじゃなくて、精神的な問題よ」
 ふうん、と拓海君が半笑いで相槌を打つ。
「精神的、ねえ」
 くそう、完全に馬鹿にしてるな。
「癒しっていうか、和みっていうか……優しくにっこり笑ってくれるだけで充分なの! 周りにそういう人がいない分ね、貴重な人材なんだから!」
「わぉーひどーい。俺たちだって、調理部が廃部にならないよう支えてなってあげてるのに」
「支えに? なってる?」
 わざと嫌味に言ってやると、拓海君がにこりと微笑んだ。すごく可愛いというか、幼く見えるような笑顔だ。
「はい、どうよ? 癒された? こういうのでいいわけでしょ」
 言いながら作業台に肘をつき、私を見上げる。
 最低だこいつ。本当に。
「そうだね。表面上の笑顔は、完璧だと思うわ」
「あの先生だって同じかもしれないとか、考えないわけ?」
 と、拓海君は言った。その目が一気に鋭くなる。口調もいつもと違う。睨みつけるようにこちらを見ていた。
「ニコニコ笑ってるけど、心の中では何考えてるかわかんねーじゃん。とりあえず笑ってりゃ、いい人に見られるから笑っててやろう、とか考えてるかもよ。まとわり付いてくる生徒ウゼー、とか。調理部が廃部になった方が面倒事が減っていいのになあ、とか?」
「ちょっと!」
「本当は甘いの嫌いで、和菓子とかなんとか適当言って誤魔化してるだけだったら? 差し入れ持ってったら『うわー本当にもってきやがった』とか、腹の中で悪態ついてる可能性だってあるわけだし」
「そ……」
 反論しようとして、喉から漏れた声が震えた。
 次の言葉は言わずに、そのまま飲み込む。でないと泣き出してしまいそうだった。これくらいのこと言われたくらいで、泣きそうになってるなんて知られるのは嫌だったけれど、どう取り繕ってもばれていたと思う。
 しばらく睨み合って、そして、大きなため息がひとつ落ちる。
 それは私のじゃなくて、拓海君のものだった。
「別に望ちゃんをいじめに来たわけじゃないから、この辺でやめておこうか」
 拓海君は言って、両手をあげるポーズをした。「ごめんねえ」といつもの調子で笑って、人差し指をくいと右に向ける。
「ところで、あれ放っておいていいの」
 示された先には鈴村が――さらし餡の粉が入った袋に手を突っ込んでいる鈴村がいた。
「うそでしょー!?」
 悲鳴を上げて、鈴村に駆け寄る。
 細かい粒子が鼻や器官に入るのか、鈴村は時々軽くむせつつ、それでも口に入れるのをやめないで食べ続けていた。その手を叩いて袋を取り上げると、なにをすると言わんばかりの、思い切り不満げな表情を見せる。
「せめて、せめて水で戻すまで待ちなさいよ……!」
 呆れる私に、鈴村は粉いっぱいつけた口をもごもごと動かした。
「口の中に入れれば、唾液で戻せ……」
「ストップ! やめて! 汚いこと言わないで!」
 言ってる内容も汚ければ、喋るたびに口のまわりについている粉が落ちてくるのも汚い。餡の入った袋も、その中身も、鈴村の手で乱暴に扱われたせいでめちゃくちゃだ。これじゃあとてもじゃないけど使えそうにない。
「黒蜜になりそうだねー」
 拓海君の呑気な笑い声が聞こえてきて、イライラがさらに増した。
「餡しか買ってないのよ! これで駄目になったじゃない、どうしてくれるの本当にもうバカー!」
 流しにおいてあった布巾を掴んで、鈴村の顔に押し付け、わざと乱暴に汚れをぬぐってやった。布巾の下から文句が聞こえてきたけど、知るもんか。ぐいぐいと力任せに遠慮なくやっていたら、つい今まで笑い転げていた拓海君から鋭い声が飛んできた。
「ちょっと待った二人とも」
「なによ、笑い上戸」
「足音が」
 ついと顎をしゃくって、扉を示す。その直後、がらりと扉が開いた。瞬く間に、鈴村は扉にくるりと背を向け、私は手に持っていた布巾を後ろ手に隠した。

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