Back Index Next
「――バッカじゃないの?」
 携帯から硬質な声が響く。
 手厳しい言葉に思わず携帯を耳から遠ざけた。

 昨日知らされた、衝撃の事実をさっそく栞にメールしたのだけれど、返ってきたのは「デート中、邪魔スンナ」という一昔前の電報みたいな短文だった。
 酷い! 男と友情どっちが大事なわけ!?
 ――なんて、非難したりはしない。できない。実際には書かれていないけど、このメールには「邪魔したら殺す」ぐらいの意味が含まれていると思っても大げさじゃないからだ。こういう時は大人しく相手の連絡を待つに限る。
 結局、電話があったのが一日あけた、今日のこと。どこに出かける予定も、用事も無い日曜の朝、リビングのソファでだらだらしていた時だった。
 通話ボタンを押すなりこれだもの。なんだか私の周りはS体質の人間が集まってないか?
「いきなり第一声でそこまで言わなくてもいいじゃん……」
「地元に住んでるのになんで知らないわけ。鈴村の家があの病院やってることなんて、うちの学校の人間なら誰でも知ってる常識じゃない」
「今まで鈴村なんかと接点無かったし、興味もなかったんだから知らなくても仕方ないじゃん。それにあんなでっかい病院、個人経営なんて思わないよ」
「家で、そういう話出ないわけ?おばさん何か言ったりしないの? よくあるでしょ、『あそこの家の息子さんは……』とか言って、あんたと鈴村比べたり」
「ぜんぜんない。外科と内科の先生、格好いいよねって話はしたりするけど。栞はその先生知ってる?私、病院には小さい頃に数回行ったっきりだから、顔よく知らないんだよね」
「あんたどれだけ丈夫なの……」
 と、栞は呆れたような口調で言って笑った。
「言っとくけど、その二人とも鈴村の家族だからね」
「え!?」
「兄弟、鈴村の。両方とも、女受け良さそうな顔してるから、おばさんの言うことも分かるかも」
 栞の口ぶりから察するに、本当に今更すぎるくらいの話題なんだろう。
 ――全校生徒の常識、とまで言い切るくらいだもんね……
 ソファの背もたれに支えにしながら体を反らせると、逆さまになった頭にどんどん血が上ってくる。血管切れそう、というぐらいのところで頭を起こすと、血の巡りがもとに戻っていくせいなのか、首の辺りがじんじんとしびれた。
 うー、なんだかもやもやする。この感覚はなんだろう。はっきりしなくて嫌なんだけど、腹が立つってほどじゃない。本当に、もやもや、ってかんじ。
「……あー、あのさ栞、もしかして拓海君も、そういうお金持ってます系の人間だったりすんの?」
「たくみくん……? ああ、湯川拓海ね。望、あいつのことそういう呼び方してるんだ?」
 途端に意地の悪そうな声音ですごまれる。いろいろな後ろめたさも手伝って、ぶわっと額に冷や汗が出てきた。
「ほら、今回の騒ぎで口利く回数増えたし? なんかあの人、人懐こいし? ついよ、つい」
 電話だから相手には見えていないのに、思わず大げさな身振り手振りで言い訳をしてしまう。家でよかった。これ外でやったら、確実に変な人扱いされてるよ。
「そういうわけだからね、変な意味は無いよ、絶対無い!」
「やけに必死になるのが怪しさ倍増だけど……気をつけなよ。あいつ、愛想良くしてるけどすごく嫌なやつっぽいし。あんた男慣れしてないからすぐ騙されそう」
 さすがだ栞。拓海君の本性に気づいているなんて、人間観察出来すぎてて……最後の部分なんて、本当のことだけに胸に突き刺さる思いだ。
「それにしても、やけに断言するね。なにか知ってることあるの?」
「見てりゃ分かるじゃない。たまに誤魔化しきれてない時があって、顔は笑ってても目が死んでたりするし。女と遊んだりはするみたいだけど、誰ともつきあったりしないし。それに博愛主義だとか頭の悪いこと言って回ってるでしょ」
「ず、随分と嫌ってるねえー……」
「嫌ってるわけじゃなくて、私に害のない範疇でやるなら、別に何やったって関係ないの。ただ、気に食わないし、積極的に関わろうなんて絶対に思わないだけよ」
 言葉の端々からして、十分嫌ってるように思えるんですが――とは言わないで、ふうん、と曖昧に返事を返す。
 なんつーか、栞は怒るんだろうけど、二人は似ている部分があるような。博愛主義宣言あたりとか。栞だって、三股かけてた時あったよな。三人共に合意の上だとか、グループ交際だとか、すごいこと言ってた記憶がしっかり残ってる。
 ――あ、そっか。これ、同属嫌悪ってやつだ。
「……なんか言った?」
「いえなんでもないです! ところで拓海君の話だけど?」
「知ってるって言っても、私も人から聞いただけだけどね。湯川の親って医療機器メーカーの重役だって。病院やってる鈴村家とはその関係で仲が良いんじゃない?」
「じゅうやく……!」
「望?」
 ぶらぶらと遊ばせていた足を勢いよく蹴り出した拍子に、前にあったローテーブルに小指を強打してしまった。痛みと涙をこらえつつ、携帯を持ち直して耳を近づける。
「い、医者にメーカーの重役!? なんすかそのセレブな関係は!」
 混乱する頭の中でさん然と輝くのは『お金持ち』の単語だ。我ながら実に分かりやすい、一般庶民な脳みそだと思う。
「うちの学校って、そんなお金持ち御用達だったっけ……ああッ!? そういえば美奈ちゃんとか、楓ちゃんとか、すごく大きい家に住んでた子が多かったような……栞の家も24時間監視のセキュリティ入れたとか言ってたしもしかして?」
 ん? そう考えると家のローン20年残ってる典型的サラリーマン家庭の私って、すごい浮いてない?
 授業料が大変だとか、そういう話は聞いたことなかったんだけど、実はお父さんもお母さんも苦労してたんだろうか。やばい、なんか、すごく切なくなってきた。
「ちょっと望、聞いてんの? 一人で勝手に妄想して盛り上がらないでくれる? 別にうちなんて普通よ、普通。ま、昔はこの辺りで有名私立っていえば、うちの学校ぐらいしかなかったし、歴史はあるからね。そのころの名残で結構裕福な家庭の子が多いみたい。中等部や高等部になってくると、外部を受ける人も多いけど」
「そ、そーなんだ……今までぜんぜん気にしたことがなかったよ……」
 うちの両親が六堂寺を選んだのは『家に一番近い学校だから』だったはず。理由までもが平凡すぎて情けなくなってくる。
 というか、鈴村と拓海君。あの二人、顔が良くて、勉強が出来て、一応人望もあって、さらに金持ちなわけか。ちょっと神様、天は二物を与えないんじゃなかったの。
 すっかりひねくれた気分で、ソファに寝転がったまま、えいやと足を持ち上げ、二人を思い浮かべつつ宙を蹴ってみた。当然ながら私の太くて立派な足は空を切る。
 ……惨めだ。
 そのままローテーブルの上に足を置き、行儀の悪い体勢のまま話を続けようとしたら、それを咎めるかのようにインターホンが鳴った。ぎくりとして足を下に降ろし、慌てて姿勢を正す。
「栞、ごめん、誰か来たみたい。ちょっと出てくるわ」
「おばさん、いないの?」
「友達と映画行くって。お父さんも休日出勤でいないから、留守番役なんだよね」
「じゃあ切ろうか」
「いーよ、どうせ新聞かなにかの勧誘でしょ。ちょっと待っててー」
 宅配便が届くなんて聞いてないし、新聞の勧誘だったら居留守使えばいいや――と、携帯片手にインターホンのモニタを覗き見た。
 瞬間、びしりと全身が硬直した。手からするりと携帯が抜けて、床に派手な音を立ててぶつかる。栞の叫んでいる声がそこから響いてきて、慌てて拾い上げた。
「ちょっとびっくりするじゃない!望、聞こえてる?どうしたの!?」
 耳元で少し早口に問いただす栞の声に、かじりつくように携帯に口を寄せた。
「どうしたもなにも! 今玄関にす――」
「す?」
 答えようとした口をぴしゃりと閉じる。
 栞は私が何か言い出すのを待っている。
 つまり二人ともが無言。
 沈黙が続いた数秒後、私から口を開いた。
「す、すー……すぅ、ごーい……遠くの親戚が、久しぶりに、来てくれて」
「ちょっと、大丈夫なの?」
「だいじょうぶ、大丈夫、大丈夫に決まってるよ! それよりごめん栞、やっぱ切っていいかな。玄関で追い返すわけにもいかないしさ」
「切るのは全然いいんだけど……」
 栞は完全には納得いってない様だったけれど、「大丈夫なら、まあいいわ」と言って電話を切ってくれた。こういう栞のさらりとした性格って本当に大好きだ。
 ごめん、ともう一度携帯に向かって一言謝ってから、足音を立てないように廊下に出た。抜き足差し足で玄関ドアの前に来て、深呼吸する。そして一呼吸置いてから、一気にドアを開けた。
 その勢いに驚いたのか、少し驚いたような表情をした鈴村が目の前に立っていた。

 私は玄関ドアに手をかけたまま、鈴村はそんな私を見下ろしたまま、しばらくお互いに無言でじっと見合っていた。傍から見たら、たぶん睨み合っているように見えたと思う。
 鈴村は重ね着したカーキ色のカットソーにジーンズというラフな格好だった。似合わないわけじゃない、むしろ似合ってるんだけど、お堅い、冷たい、制服をきっちり着こなしている学校でのイメージが頭にこびりついていたせいか、なんだか戸惑ってしまった。
 数分ぐらいそうしていたと思う。その間、いろいろ考えて――考え抜いた挙句、口から出てきたのは、
「なんで?」
 この一言だけだった。
 途端に鈴村の眉間に皺がよる。
「お前が手伝いに来いと言ったんだろうが」
「いや言ってないし。大体なんの手伝いよ?」
「昨日自分が言ったことも覚えていられないのか、お前の脳は」
 鈴村の眉間にもう一本皺が刻まれた。
 少々怯んだけれど、いざとなったらすぐ家に逃げ込めばいいやっていう安心感も手伝って、ふんと虚勢を張った。
「なに偉そうに言ってんの? 昨日のことだったらしっかり覚えてるっての。忘れるはず無いじゃない。そもそも染井先生に文句つけるぐらいなら、鈴村も荷物持ちぐらい手伝えって話で――」
 ん? 待て。今、すごく既視感があったぞ。
 私、同じセリフを言った覚えが、あるような。
「あれ?」
「――買出しの荷物が重すぎて腕が抜ける」
「あれれ?」
「――本当は明日買出しに行って、月曜日には準備万端という予定だった」
「あれれれー?」
「――文句を言うなら手伝えと言ったのは」
「あ、あ! あれねー!! 思い出した、思い出しました!」
 言ったよ。言ってたよ、私。
 やばー、と鈴村の顔色をのぞき見ると、案の定『この低脳が!』的な表情を浮かべていた。屈辱!
「思い出したならさっさと行くぞ。時間が無駄になる」
「ちょっと待った!」
 さっさと行ってしまいそうになった鈴村の腕をがしりと掴むと、再度鈴村は驚いたような表情を見せて、私と掴まれた腕に視線を走らせた。
 鈴村のこういう表情が二回も見れるなんて、これは珍しいかもしれない――なんてのん気なこと考えてる場合じゃない。買出しは昨日済ませてある。これ以上買ったら予算オーバーになるけど、問題はそこじゃなくて。
 染井先生と二人で行っちゃったってことが、やっぱり一番マズい……よな。
 先生に向かって、PTAの小うるさいオバサンみたいな主張であれだけ罵った鈴村に、昨日のことは口が裂けても言えない。馬鹿呼ばわりされる私でも、さすがにそんな飛びぬけた大馬鹿じゃない――つもりだ。
「なんだ」
「えーと……その、昨日の帰りに、ひとりで! 買出しに行っちゃったんだよね。帰り道に店があるしさ。5袋分買い込んだけど、ひとりで! 持って帰ったよ。バスも使えばひとりでも! なんとかなったし」
 いくらなんでも『ひとりで』ってことを強調しすぎたか。
 鈴村は無言で、疑っているのか、単に考えているだけなのか、その表情からは読み取れない。作り笑いをしてみたけど、誤魔化しきれているかは微妙だ。さっきみたいに、お互い睨みあっているような状態になってしまった。
 やがて鈴村が目をすうっと細めて、
「じゃあ用はないんだな?」
 と言った。
 うん、と頷きかけて、ちょっと考え込む。
 手伝いに来いとか言っといて、やっぱいいから帰れって、どんなジャイアンだ私は。どう考えても身勝手すぎる。逆の立場だったら、絶対この場でブチ切れてるぞ。
「あのね、用はないんだなって聞かれたら、ないって答えになるんだけど」
 そこまで言って、相手の反応を見てみる。
 鈴村からは、反論とか文句じゃなくて、相槌が返ってきた。先を聞いてくれる気はあるらしい。
「このあと予定があるとか、忙しいとか言うなら別にいいんだけど」
 だから――と次の言葉を言おうとして、喉に引っかかった。
 なんかこれ、私が鈴村を必死に引きとめようとしてるみたいじゃない?
 意識したら無性に恥ずかしくなってきて、慌てて顔を俯けた。
 いやいや、違うし。特別な意味なんてないから。良識ある人間として、このまま帰すのはよろしくないって思ったからこその行動なんだよ、これは――って誰に言い訳してるつもりなんだ! しかもなに自分に突っ込み入れてんだ、ちょっと落ち着いてくれ自分!
「あ、いやその、だから」
 頭に血が上っているのか、頬の辺りが熱くなってるのが触らなくても分かる。顔が赤くなってないといいんだけど。
 あわあわしながら、顔を上げると、鈴村は顔を俯ける前と同じ表情で、こちらを見下ろしていた。
 私がなにか言うのを待ってくれているみたいだ。だから、思い切って口を開いた。
「とりあえずその、上がって、お茶でもどう?」

Back Index Next