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 食器棚からお客様用湯のみを取り出しながら、ちらりとリビングに目をやる。チラ見するのはこれで六度目だけど、何度見ても同じ状態で変わりなかった。

 私の家のリビングのソファに、あの、鈴村が座っている。

 そこで待ってて、と言った私の言葉をきちんと守って、鈴村は行儀よく背筋を伸ばし、いつものような嫌味も皮肉もなく大人しくしていた。育ちが良さそうに見えるのは、お金持ちだって話を聞いていたせいかもしれない。
 じいっと見ていたら、鈴村の頭が少し動いたような気がして慌てて視線を手元に戻した。お茶を淹れてますよーという振りをしながら、全神経を耳に集中させて様子を伺ってみる。物音なし、鈴村からの文句もなし。どうやら盗み見をしていたことはバレていないみたいで、ほっと息をついた。動いたように見えたのは気のせいだったのかも。けど、「遅い」と文句をつけられる前にさっさと用意してしまった方が良さそうだ。
 手早く一人分のお茶を淹れ、湯のみをお盆の上にのせる。本当はそのまま湯のみをドンと無造作に出してやろうかと思ったけれど、招いたのはこっちだし、なんとなく見栄を張りたかった、っていうのもある。
 昔、中等部の時に家庭科で習った『お客様へのお茶の出し方』とやらを思い出しながら、かなりたどたどしい動きで鈴村に湯のみを差し出した。
「粗茶ですが」
「本当にな」
 即答か。せめて一口ぐらい口をつけてくれ。
「いやいや、そこは遠慮とか謙遜するところじゃないの?」
 鈴村は無言のままで、すっと台所の流し台を指差した。その上にあるのは、今淹れたお茶の袋だ。まあ、淹れた、というか――お湯に溶かしてできあがり、『飲みたい時に飲めて、茶ガラも出ません!』って宣伝文句の、やっすい粉末緑茶なんだけど。
「だって鈴村、なんでもかんでもすぐ急かすじゃない。だからお茶もすぐ飲める方がいいかと思ってさ」
「それで、お前は何を飲んでる」
 鈴村の目線が、私の持っていたマグカップに注がれる。
「ああこれ?」
 と、中身が見えるよう器を少し傾けた。
「ココアだよ」
「何でお前だけそんなものを飲んでるんだ」
「鈴村一応お客だし、お茶のほうがいいかなって気を使ったんだけど」
「まさに余計な気遣いだな」
 どうしよう。声をかけたのは私だけど、誘ってからまだ10分も経ってないけど、もう家から叩き出したくてしょうがない。それが駄目なら、湯のみを奪い取って中に入っているお茶を鈴村にぶちまけるとか。
「一人でなにをぶつぶつ言ってる。それにその仏頂面をやめろ」
「この顔は生まれつき! あーもう、うるさいなー、じゃあ、交換でもする?」
 一口飲んじゃったけど、と付け加える前に、鈴村は湯飲みを私の目の前に差し出してきた。
 この男に繊細さを求めた私が馬鹿だった。そうだよね、潔癖症の人間があんな汚い食べ方するわけないもんね。
 脱力する私の目の前で、鈴村は飲みかけのアイスココアに、なんのためらいも無く口をつけた。そのままてっきり一気飲みすると思っていたのに、一口二口、こくりと飲んでからカップを下ろした。
 普通だ。
 どこも変なところなんてない、一般的な態度だ。それが怖い。これまで鈴村と二人きりなると、必ずといっていいほどなにか騒動が起きていただけに、この平穏さが不気味すぎる。
「鈴村、言っておくけど」
 そう切り出して、手の中に合った湯飲みをテーブルの上に置き、鈴村の方に体ごと向ける。ついでにちょっと姿勢を正した。
 あらたまった態度を不審に思ったのか、鈴村が何事だと眉をひそめる。
「うちにお菓子の買いだめないからね」
「何の話だ」
「だから、今ここで、いつもの大食いの発作? が起こっても、すぐに食べられるものはないってこと」
「それなら心配ない。今日は大丈夫だ」
 と、鈴村は涼しい顔で言い切った。
 この様子なら、きっとしっかり対策済みなんだろう。よく考えてみれば、外出先で暴走して困るのは鈴村自身だもんね。
「そっか、家を出る前にいっぱい食べてきたんだ?」
「いや朝食しか食べていない」
「それのどこが大丈夫なわけ!?」
 くそう。こんな馬鹿馬鹿しい話に思わず立ち上がって突っ込みを入れてしまった。
 大体なんのコントだよこれは。鈴村は私にお笑いの能力でも求めてるのか。
「気分的に、なんとなく分かる。こういう日は大抵発作は起きない。だから大丈夫だ」
 自信満々で言い放つ鈴村は当然のように無視して、無言で腰を上げ、キッチンへ向かう。背後から即座に非難の声が飛んできた。
「お前は人が話してる最中になにをしてるんだ」
「あんたの言葉に説得力なさすぎだから、どこかにお菓子がないか探してんの!」
 いつもぱっと目に付く場所にスナック菓子のひとつぐらい置いてあるのに、今日に限ってお菓子の『お』の字も見当たらない。念のために戸棚の中もあさってみたけれど、やっぱりなにも無かった。
 そういえば、冷凍庫にアイスが二つほどあったような――や、あれ高いやつだから駄目だ。数秒でぺろりな奴なんかに出してたまるか。
「……鈴村、ぜったいに、発作起こさない?」
 キッチンから首をひょいと伸ばして、鈴村に尋ねる。
「絶対大丈夫って言い切れる?」
「だからさっきからそう言ってる」
「ココアのお代わりくらいはあるけど、お菓子ないからね?」
「しつこいぞ」
 おし。本人がここまで言い切ったんだ。万が一そういう事態になった時は、砂糖水で我慢させてやる。
 幸い、砂糖入れの中には半分以上の量が残ってるし、戸棚にも買い置きの上白糖が1袋置いてある。さすがにこれだけあれば足りる……はず。
 不安要素はちっとも改善されてないけれど、こうしていても埒が明かないと開き直って、リビングに戻り再びソファに腰掛けた。
 それとほぼ同じタイミングで、鈴村がマグカップをテーブルの上に置いた。中のアイスココアはもう飲み干されていて空っぽになっている。さっそくお代わりよこせってことか! と睨んだら、鈴村は怪訝な表情を浮かべただけだった。
 あれ?お代わり要求じゃない?
 学校いる時は、差し入れやら買出しやら、一度じゃすまなくて、二度三度と散々使いっぱしりにされてたのに。これは本当に、本人の言ったとおり症状が落ち着いているってことなのかな。よくよく考えてみれば、こうして普通の状況で、何度も連呼しちゃうけど、ごく普通に鈴村と対峙するのってはじめてかもしれない。
 とりあえず空になったカップを受け取って、なみなみとお代わりのココアを注いで鈴村に手渡した。
「あのさ、前から不思議だったんだけど」
 そう切り出してみたら、鈴村は体をほんの少しだけこちら側に向けてきた。
 お、なんかこれって、聞いてくれる体勢を作ってるよね。ちょっと、まともな会話ができそうじゃない?
「ほら、あれだけ甘いもの大量に食べて、よく太らないよね」
「毎日、朝5キロ、夜に10キロ走ってる」
 鈴村は涼しい顔でさらりと言い切った。
 なんて前向な――思い切りマイナス方向に、ってことだけど。
 でも、毎日それだけ走ってるなら、服の下はすごい筋肉質だったりするのかも。興味をひかれてまじまじと鈴村の体を眺めていたら、不審げな顔をしている鈴村と視線がぶつかって、妄想の世界から一気に現実に引き戻された。
 おおおぉ……! 待て待て何を想像してるんだ通報レベルの痴女か私は!
「そ、そうじゃなくて、プラスの方向に前向きになりなよ。何度も言ってるけど直したほうがいいって。今のペースでいくと、将来的にぜったい病気になるよ」
 ああ余計なお世話だったかもなあ、と言ってから後悔した。鈴村の家は病院なんだから、私が忠告するまでもないんだった。
「そりゃ……おうちが病院だし、身内が医者なんだから、病気になったっていつでも診てもらえるだろうけどさ」
 ぼそりと漏らした途端、鈴村はココアをぐっと一気に飲み干した。
 すこし乱暴な気配が窺えて、びくりとする。
「怒んないでよ」
「怒ってないだろう」
 その眉間の皺は不機嫌のしるしではないんですか。と思ったけれども、変に揚げ足を取って言い争いになるのも御免だし、ふうん、と適当に相槌を打ちつつ、お茶に口をつけるふりをした。
 すぐに微妙な空気の沈黙が降りてくる。鈴村の方から流れてくる、重苦しいというか息苦しい気配からして、表情なんか見なくてもご機嫌じゃないのは丸わかりだ。
「俺は心身ともに健康だ。自分の体調管理ぐらい出来る」
 鈴村はうんざりしたような声音で言った。
 ……もしかして地雷を踏んじゃった? それとも、まだ踏みかけた一歩手前、ってところか。
「分かった、確かに、今の鈴村は健康そうに見える。うん。じゃあその……いつぐらいからなわけ? そうやって食べ始めたのは」
「物心ついた頃から」
「は?」
 予想外すぎる答えにぽかんとする。
 けれどすぐに、からかわれたのかと鈴村を睨んだ。
「私、わりと真面目に尋ねてるんだけど」
「俺だって真面目に答えてる」
 こちらを見返してくる鈴村の表情は至って真剣そのものだった。言葉どおり、ふざけているわけではなさそうに思える。というかよく考えてみれば、鈴村が冗談を言うことなんて絶対無さそうだ。
「それなら、小さい子供の時から食べまくってたってこと?」
「……うちは両親共に医者で、今も昔も変わらず常に病院に入り浸りだ。当然、子供に時間を割いている暇はない」
「はあ……まあ、そうだろうねえ」
 ドキュメンタリー番組なんかで見たことあるけど、医者って激務だっていうもんね。お父さんもお母さんも医者なら、家庭のことを顧みている暇はあまりないのかも。けれど、それと鈴村の食癖と、なんの繋がりがあるのか分からなくて曖昧に頷いた。
「だから、そういう状況で考え出した子育て方針が、『ぐずった時はとにかく好きなものを食べさせろ』だったらしい」
「なにそれ」
「子供は、特に幼児ぐらいだと何か口に入れれば大抵大人しくなるだろ。それが好物だったりしたら効果覿面だ。まず一番上の兄で上手くいったから、二番目、三番目も――」
「とりあえず、甘いものでも食べさせておけって?」
「俺の場合はな」
「誰もそれに反対しなかったの?」
 鈴村は首を横に振った。
「家政婦や手伝いに来てる者にも、そういう指示を出していたようだしな」
 それってどんな教育方針だ。よく知りもしないで、他所様の家庭事情にケチをつけるのは、よくないことだろうけど、ちょっと特殊すぎやしないか。
 ――というかさ、今の話を聞く限り、もう余計なこと考えるまでもないじゃない。
「なんだ、どか食いの原因、分かってるんじゃない。子供の頃、ぐずったりする度にお菓子を口に入れて機嫌をなおしてたのが、条件反射みたいになっちゃったってことでしょ?それが大きくなってからも続いてて……」
 待て、と鈴村が口を挟む。
「この歳でぐずったりなんかしてないからな」
 まさに言おうとしていたことを否定されてしまって、言葉がぐっと喉に詰まった。
「……ま、まあ、そりゃあね。さすがに高校生になって、ぐずるってのは無いとして……」
 自分の考えを表現するための適切な言葉見当たらなくて、しどろもどろになってしまう。そういや現国の先生が『語彙が貧困だと、いざと言う時困るぞ。本をたくさん読んでおけよ』とかなんとか、言ってたよなー。まさに今その状況じゃん。少しは真面目に聞いておけばよかった。
「う……上手くいえないんだけど。今の鈴村は、自分の思ったとおりに物事が進まないとか、嫌なことがあったときとか……つまり、ストレスを感じた時、我慢する代わりにお菓子を食べることで発散してる、ってことじゃないの?」
 また不機嫌になられたらどうしようかと、恐る恐る問いかけた私に、鈴村は顔色も変えずにきっぱりと言い切った。
「俺はべつにストレスなんて感じてない」
 そうですか。私なりに一所懸命説明したのに、一刀両断ですか。
 テーブルの端を引っつかんで、力任せにひっくり返してやりたい衝動に駆られる。それをぐっと飲み込んで、先を続けた。
「自分じゃ気付かないけど、ストレス感じて、溜め込んじゃうってこともあるらしいよ。副会長なんてやってりゃ、嫌でもそういうの溜まりそうだし。ほら、清水さんのこととか、前に愚痴ってたでしょ」
「あれは気に入らないってだけだ」
「人はそれをストレスと言うのだと、そう思うわけなんですけれども?」
「俺には当てはまってない」
 またまた全否定だ。ここまで来ると、ちょっと頑なすぎ、って感じもする。
「じゃあ学校のこと譲歩するとして……おうちの事とか、将来のことは? 家族の手前、いつでもいい成績キープしてなきゃいけなくて、重圧がかかってる、なんてのは?」
「勉強が苦だと思ったことはないし、成績のことも気にしたことがない。なんであの程度の問題を間違えるのかについては、気になったことはあるが」
「……ちょっと。せっかく原因を探ろうとしてるんだから、そういう身もふたも無いこと言うのやめてくれる? だいたいね、ふつうの、一般的な学生には、成績に関する問題は大きなストレスになるの」
 そうなのか、と素直に鈴村は相槌を打った。
 皮肉で言ったわけじゃなく、素ってところがまた嫌味だ。
「ああもう。ストレスってのが無しとなったら、他に原因として思いつくのは――」
 言いかけて、口ごもる。
 いや、これはあり得ない。鈴村には絶対に当てはまらないはず。だけど万が一、もしかしたらって可能性も捨てきれないわけで。
「寂しかった、とか?」
 はあ? という顔で鈴村が私を凝視する。
「なにをどうやったら思いつくんだ、そんなこと」
 浮かべている表情と同じく、心底呆れきったという口調で言い放った。
 やっぱりね。馬鹿にされるとは思ったんだ。言うんじゃなかった。
「うるさいな! だって子供のころ放任主義的な教育方針だったわけでしょ。本当はかまって貰いたかったのに、放って置かれて寂しかったから、代わりに甘いもので心の隙間を満たして……拠りどころにしてたわけよ。今でもそのことが鈴村の心の中で消化できてなくて、荒んだ気持ちになったとき、ついつい甘いものに頼ってしまう、っていうのは?」
 ん、と呟いて、鈴村は片眉を上げた。
「子供の頃の自分が――もちろん今の自分についてもだが、寂しがっているというのが想像できない」
「……それは私のセリフだけどね」
「なんだと」
「ちょっ……そこ噛み付くところ!? 今、自分で肯定したじゃない」
「自分で言うのはいいが、他人に言われると腹が立つ」
「鈴村あんた、わがままだって人から言われたことあるよね? ないはずないよね。絶対言われてるよね」
「そんなこと誰にも言われた覚えはない」
 ――まったくどいつもこいつも弱虫君め!
 自分のことをぶっちぎりで棚にあげといて、こう言うのもなんだけど、一人もいないってどういうことだ。
 そりゃ、鈴村に向かって直接非難出来る人なんてそうそういないだろうし、世間的には『わがまま』じゃなくて、『横暴』とか『強引』で通ってるのは分かる。でもでも、せめて一人くらい、拓海君あたりなら言ってそうだと思ったのに……!
「鈴村が怖いから、言いたくても言えないんでしょ」
 他所を見ながら、小さく、ひとりごちる。
「拓海君相手なら――言ったとしても、『冗談だよ』ってごまかせば笑って許してくれそうだけど、鈴村は冗談でも許してくれそうに無いもん」
 コトリ、とカップをテーブルに置く音が聞こえた。同時に鈴村が動く気配もした。
 あー耳に入っちゃったか、というのが半分、ま、いっかという開き直りが半分。振り返って――ぎょっとした。
 座っていると思っていたのに、鈴村がすぐ傍に居たからだ。
 驚いて後ろに体を引くと、頭と背中がソファの背もたれにぽすんとぶつかった。
 硬直したまま、鈴村の顔を直視する。鈴村もこっちをじっと半目で見下ろしている。怒らせたのかと思ったけれど、よくよく表情を見る限りそうじゃないようにも思えた。
 パニックになっているこっちのことなどお構いなしに、鈴村は肘掛に手を置いて、こちらを覗き込むように体を屈めてきた。
 近い。顔が。私の鼻先10cmくらいのとこにある。近すぎ。今までに無い距離で、鈴村の黒い瞳が見える。目を逸らしたら負け――ってわけじゃないのだけれど、そうしたらなんだかもっと恐ろしいことになりそうな気がして、身動き一つしないでその目を見返した。
 数分ほど、その状態で固っていたと思う。
「……った」
 何の前触れも無く、鈴村は口の中で何か呟いたかと思うと、すっと目線を逸らし、体を起こした。
「鈴村?」
「帰る」
「へ」
「買出しの荷物はどこだ」
 ――なんなんだ、いったい。
 緊張が解けたせいで、ずるりと体が完全にソファに沈み込む。だらしない体勢のまま呆気に取られている私に、鈴村はいつもどおりの命令口調で言った。
「なにを間抜け面を晒してるんだ、ボサっとするな。もともと荷物運びの要員として呼んだんだろうが。それとも明日の朝、一人で5袋分の荷物を持って登校したいのか」


 まったく状況が飲み込めないまま、とにもかくにも先に玄関で待っていた鈴村に買出しの荷物を三つ手渡した。
 鈴村は重さを確かめるように袋を持った手を上下させてから、ふん、と鼻を鳴らした。
「明日の朝、調理室前に置いておくからな。お前は――」
「ああうん、ちゃんと早出して、片付けとくよ」
「朝、コンビニに寄るのを忘れるなよ」
 やっぱりいつもの鈴村だ。別れ際にも人をムッとさせることを忘れない辺りが、特にそう思う。でも今の状態がいつもどおりである分、ますますさっきの出来事が奇妙に感じてきた。
 ――いやでも、冷静に考えてみれば、今日の出来事全てがヘンなのよ。
 だってあの、鈴村が、だよ? 家にあがって、お茶してたんだもん。しかも招いたの私自身だし。昨日言い争いになったあの時には、想像もしなかった出来事だよ。こっちの売り言葉を真に受けて、うちの家まで手伝いに来ただけじゃなくて、帰りに重い荷物を持って行くって申し出てきたりしてさ。
 あれ。
 これって、真面目に、一般的に考えて、アレじゃない?
「……いい人?」
「なにが」
 予期しない返答が頭上から降ってきて、勢いよく顔を上げた。
 目の前の鈴村は目を細め、いぶかしげに首をかしげている。
「な、なにが、って?」
「馬鹿か。今お前が言ったことだろう、いいひ――」
「うぁあああ! ちょっとストップー!!」
 頭の中で考えてただけのつもりだったのに、口に出してたなんて一生の不覚だ。迂闊すぎじゃないか。
「なんでもないなんでもない! ね……熱が! 熱が出てきて、ちょっと意味不明なこと口走っただけ!」」
「熱? 風邪か? うつすなよ」
 と、鈴村はあからさまに嫌そうな顔で言った。
 表面上だけでも心配するとか、そういうのがまったくない、実にらしい。
 よし、いいぞ。それでこそ鈴村だ。
 心の中で安堵のため息をついていた私の前で、鈴村は携帯を取り出した。
「うちの病院に行くつもりなら、優先で診るよう予約を入れてやる」
 どうする、と通話ボタンに指を添えて尋ねてくる。
 ――そんな、鈴村が、気配りとか……!
 優しさ? なにそれおいしいの? とか思ってそうな人が?
 なにか裏があるんだろうかとびくびくしながら、低姿勢でお断りすると、鈴村は特に気分を害した様子もなく、
「分かった」
 とだけ言って、あっさりと帰って行った。
 呆然と立ち尽くす私の前で、玄関のドアはゆっくりと閉まっていく。カチリと完全に閉じる音が半ボケの耳に届いたところで、ようやく我に返った。
 鈴村がいい人!? そんなはずは……なにこれ罠? 罠なの? まさか、どこかに拓海君が隠れてて、一部始終を見て、私のこと哂ってたりしないよね? 我ながら、そりゃもう卑屈な発想だとは思うけど、そんなことを思いついてしまうぐらい、さっきまでのやりとりが信じられなった。
 考えすぎと、興奮しすぎで頭がずきずきする。緊張型偏頭痛ってやつかもしれない。やっぱりやっかいごとに首を突っ込んだりするからこうなるんだろうか。あの時、鈴村を家にあげずに帰しておくべきだった?
 ――なんか、でも。
 頭の中でぐるぐる渦を巻いているみたいで、まるで考えがまとまらない。頭がパニックになっていて、とにかく熱い。駄目だ、本格的に熱が出てきたかもしれない。
 ――でも、一番らしくなかったのは、私だった、ような。
 とりあえずその場にしゃがみこんで、痛み始めた頭を抱え込んだ。
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