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 玄関にて、下がりかけていた靴下をぴしりと伸ばし、普段使わない靴べらを使ってローファーを片足ずつ意識しながらきっちりと履く。両脇には鞄とスーパーの買い物袋が二つ。それを両手に持ち、気合を入れて立ち上がった。
「おし!」
 廃部騒動が始まって一週間が過ぎた。
 決定を下されるのは今週の金曜日。ひたすらに食べ物を配って笑顔を振りまく――媚売り作戦は、完璧とは言わないまでも、うまくいってるんじゃないかな、と思ってる。
 これまでの高校生活一年と半分よりも、ほんとーに、『濃い』一週間だった。廃部騒動だけじゃなくて、同級生に下僕扱いされたり、調理室荒らされたり、休みの日に呼び出されたり、部室荒らしがあったり、先生の意外な一面垣間見ちゃったり、鈴村がうちに来たり――あれ、なんだちょっと嫌なことに気付いちゃったよ。
「……最初より確実に問題増えてるよ……」

 ハア、と大きくため息をつく。
 まだ吐いた息が白くなるほどの季節じゃない。けれど目には見えないため息がまとわりついてくるように感じた。それとは正反対に、素晴らしく気持ちのいい秋晴れな空が心底恨めしい。どんよりした気分のまま学校の正門近くまで来たとき、正面からやって来る二人組みを見て咄嗟に足を止めた。
「げ」
 木戸君と畑君だ。バスケ部の朝練なんだろう、二人とも大きなスポーツバッグを抱えている。
 畑君には強烈に嫌な思い出しかないから、出来ればこのまま私に気付かずに行って欲しいってのが本音だ。だけど、そういう時に限って気付かれるっていうのがお約束――とか不吉なこと考えていたら、まんまと二人の視線がこちらに向いた。どちちらも私の姿を見止めて「あ」という表情で動きを止めた。
「はよー」
 すかさず木戸君がニカっと笑って、片手を挙げる。
 すごい爽やかさんだ。清涼飲料水のCMに出てても違和感なさそう。
 つられて手を振り替えしたのだけれど、もう一人の畑君は左向け左の要領で体の向きを変え、一人で校内に向かって歩いていってしまった。
 ――あ、あからさまに無視された……!
 基本を踏まえた、これ以上無い模範的な無視の仕方だった。まっずいおにぎり食べさせたってことは、そんな罪深いことなんですか。嫌悪感バシバシで無視されるくらいの大罪ですか。もう、あり得ないくらい、すごいへこむんですけど!
 木戸君も呆気に取られた様子で遠ざかっていく畑君の背中を見つめていたのだけれど、はたとこちらを向き直って、苦笑いを浮かべた。
「なんか、悪ぃ」
「いや、うん」
 もちろん木戸君は悪くない。八つ当たりするわけにもいかず、私も下手な作り笑いで微妙な空気を誤魔化すしかなかった。傍まで行くと、彼は「行く?」と顎で促してくる。断る理由も無いので、素直に頷いて隣に並んだ。
「ぶっちゃけて聞きますが。私、嫌われた感じ?」
「や、上原は関係ないって。べつに気を使ってるわけじゃなく、本気で」
「さっき、思い切り無視されたよね……」
「あー、ん。それはなー」
 木戸君は唸りながら、左手でがしがしと髪をかき乱した。
 そのせいで、せっかくきれいに整っていた髪形が崩れてしまったのだけれど、本人はまったく気にしていない様子だった。
「畑って、最近すっげー変なのな。妙にピリピリしてるっていうか、すぐマジ切れすんの。俺らや後輩だけじゃなく先輩にも食ってかかったりするし、部内でも孤立気味になってんだよ。今朝途中で会って、ちょっと一言いってやったら、説教すんなって言い返されてさ。腹立つからこっちもやり返したりして、ついさっきまで雰囲気最悪状態だったわけ」
「じゃあ私は、一番タイミングの悪い時に声かけたってこと?」
「そういうこと」
 どこまでついてないんだ。朝の嫌な予感というか、ついてない感じを見事に引きずっている気がする。
「あいつ、前から気が短い方だったけど、ここまで険悪になるの、初かも」
「そうなの? 様子が変わったのって、いつぐらいから?」
 うーん、と木戸君は目線を上に向け、首を傾げた。
「一週間前ぐらい……いや、もう少し前だったか? ま、ごく最近てのは間違いねーかな」
 それなら時期的に廃部騒動が始まった時と同じくらいだ。でもバスケ部は廃部とはまったく関係ないポジションにいるんだから、今回の騒動とは結びつかない。
「だからさ、上原」
「ん? うん」
「ほら前に、お前の作ったおにぎりで揉めたことあったじゃん? 今になって考えてみると、あの時もたぶん味がどうこうじゃなくて、単に畑の機嫌が悪かっただけだと思うぜ。だからあんまり気にすんなよ」
 木戸君は「じゃあまた後で」と付け加えて、部活棟に向かって駆けて行った。
 なんか……ちょっと格好いいんじゃないのー。
 遠ざかっていくその後姿まで見事に爽やかだ。これまで何度か同じクラスになったことがあるから、性格良いってのは知ってたけど、今みたいな気の配り方はさりげなくてすごくいい感じ。可愛い系の後輩に人気ありそう。なんてことを考えていたら、自然と顔がにやついてしまった。

 底辺レベルまで沈みきっていた気持ちを少しだけ浮上させて、校内へと足を向けた。職員室で鍵を受け取り、早足で向かった調理室の扉の前には、スーパーのビニール袋が三つ、隅に寄せるようにして置いてあった。
 鈴村かな、と思うのとほぼ同じタイミングでポケットの中の携帯が振動する。画面を見ると、発信者欄に『未登録者』と表示されていたので、多少警戒しつつ通話ボタンを押した。
 一、二数秒ほどの無言の後に聞こえてきた第一声は、
「寝坊していないだろうな」
 ――だった。声と、この不遜な態度で相手が誰かは分かる。が、それをすんなり受け入れるってのも癪だ。
「不審者か。せめて名乗ったらどうよ」
「その言葉そっくりお前に返してやる」
 穏やかな気持ちから、頭の中のスイッチが切り替わった音がした。覚醒とか怒りとか興奮とか、そういう系のスイッチだ。くそぉおおお! 腹立つわー!!
「もしもし、上原だけど! どなた様ですか!」
「鈴村だ。今どこにいる」
「調理室前。買い物袋を回収したところ」
 話しながら、扉の鍵を開けて中に入る。休日明けの締め切った室内は息を止めたくなるような、なんともいえない独特の匂いが篭っていて、「うっ」と唸り声が出てしまった。すかさず息を止めて、扉の近くにあるいくつかの窓を全開にした。
「上原?」
「ああうん、ちゃんと聞いてるよ。途中でコンビニ寄って買い物もしてきたし」
 ほら、とコンビニ袋を携帯に近づけ、振り回す。包装紙同士が触れ合って、シャカシャカと軽い音を立てた。
「それで、これ今から食べるつもり?」
「まだいい、自分で買ってきた分がまだある」
 むこうからもナイロン袋のこすれる音がする。随分近くに聞こえるから、鈴村も私と同じことをしているのかもしれない。その様子を想像したらちょっと笑えた。
「そういやさ、荷物運んでもらってすごく助かったよ、ありがと」
「礼なら言葉じゃなく、物で返せ」
「……鈴村ならそういうこと言いそうだなって、予想してたまんまのこと言った!」
 しかも即行で返しやがった。可愛らしく返事しろとまで贅沢言わないけど、少しはためらったりしても罰は当たらないんじゃないの。まあそうなったらそうなったで、鈴村どこか体調でも悪いわけ? とか思っちゃいそうだけどさ。
「普段馬鹿呼ばわりしてた奴に先読みされる気分はどーよ?」
 ふひひ、と凄まじく女らしくない笑い方をしてしまった……可愛げのなさではいい勝負ってか、私も人のこと言えた立場じゃないわこれは。今後はもう少し自重しよう、と反省している私の耳に、鈴村の冷たい声が届いた。
「その程度で先を読んだとか。上原、お前いま壮絶に頭の悪い発言をしてるって自覚を持った方がいいぞ。分かりやすく言うと『痛い奴』ってことだな」
 嫌味たっぷり、蔑むような声音付きのきついお返しを頂いてしまった。そうだ。口でまともに勝てる相手じゃないこと忘れてた。
「大体、お前は――」
「私が悪うございました! 正直調子乗ってましたスミマセン! だから説教はストップで!!」
 勢いで無理やり相手の言葉を遮った。三倍返しどころか五倍、十倍で返されそうだから洒落にならない。
 鈴村は不穏な沈黙の後、
「――それなら、呼び出しかけたら三分以内に来い」
 と言い放ってから、こちらの返事なんて待たずに通話を切った。
 三分以内に駆けつけろとか、どこの軍隊だ。この鬼軍曹め。
 液晶パネルを睨みつつ、ぷちぷちとボタンを押してアドレス帳を表示する。そのまま鈴村の名前を入力し、登録ボタンをぽちりと押して――しまった。
 おおぉぉ……! いつもの習慣であっさりアドレスに登録しちゃったよ……!!
 慣れって怖い。パシリにされるべく登録するってどうなの。すぐさま削除ボタンに親指をかけたけれど、押さずにそのままの状態で停止した。ここで消すと、またかかってきた時に未登録者表示になってしまって紛らわしいし、それにこっちから電話をかけなきゃいけなくなるような緊急事態も起きるかもしれない。パネルに鈴村の名前が燦然と表示されているのを見ると、とてつもなく悔しい……けど、登録しておいた方が便利は便利だ。
 しぶしぶ指を離して、携帯を閉じ、制服のポケットに仕舞い込んだ。ため息をついて、時間を確認する。壁の時計は7時半を過ぎたくらいを指していた。始業時間まで時間は十分ある。
 放課後の下準備はひとまず置いて、食器棚にしまって置いた青いポリバケツを引っ張り出した。

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