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「望さー、今日食堂行ってないでしょ?」
 お昼休み、美奈ちゃんに声をかけられて、ポッキーをつまもうとしていた手を止めた。向かいに座っている栞も、口にくわえたまま可愛らしい仕草で小首をかしげている。
「行ってないけど? 今日お弁当だし、飲み物も持ってきてるし。どして?」
「これ、さっき食堂前で新聞部が配ってたんだけど」
 美奈ちゃんは一枚の紙を私の目の前に差し出し、ヒラヒラさせた。ぱっと見、文字が書いてるのが見える。
「なに? ペーパー? 風紀委員のお知らせとか?」
「読んでおいた方がいいと思ってねー、持ってきたんだけど」
 そう語る美奈ちゃんの表情が、ニヤニヤ笑いというか好奇心いっぱいな感じになっているのが気になったけれど、素直にそれを受け取った。読もうとすると、栞も身を乗り出して覗き込んでくる。
「えーと? 部室荒らしの犯人は生徒の可能性大、う……んん!?」
 思わず紙面にぐぐっと顔を近づける。そんなことしたって書いてある内容が変わるわけはないのだれど、ついついそうしてしまった。驚いている私の手から、栞はするりとペーパーを掠め取り、代わりに読み上げた。
「先週土曜に発生した剣道部、美術部の部室荒らしの件について、外部から進入した痕跡は見当たらず、金銭的な被害もないことから、犯人は内部の者の犯行である可能性が極めて高いと推測され――? 現在、生徒会が強行している予算削減案によって一部生徒への過剰な圧力が加えられていることなども考慮すると――? なにこれ、くっだらない」
 栞は指でピシリとペーパーの紙面を弾いてから机に置いた。
「もったいつけるような書き方しないで、犯人は生徒だと思うんですーって、ずばり書けっての。しかも最後のところとか、嫌らしすぎ」
 きれいに整えられた指先が、イラついた様子でこつこつと文字の上を叩く。指し示されたところには、事件前日と当日に登校していた部活名が一覧で挙げられていて、さらに廃部対象組には頭に星マークがついていた。
「これじゃ、この部員の中に犯人がいるって言ってるのと同じでしょ。他人を晒しといてさ、記事書いた奴、自分の名前書いてないし。性格悪い。大体これ生徒会の認可印がない、違反物じゃない」
「そ。だから連絡受けた生徒会の人間が来てさ、配布してたやつとか全部没収していったよ。と言っても、私のは咄嗟に隠したから取られなくてすんだわけ。感謝してよ」
 少し得意げな様子の美奈ちゃんに笑って礼を言ってから、紙面に目を落とした。パソコンで作ったらしくきれいに書式が整えられていて、内容はともかく読みやすいのは読みやすい。そして栞の言ったとおり、記事を書いた人の署名がなかった。けれど、誰がこれを書いたのかはなんとなく推測が付く。
「もうねーすごかったよ、その時の生徒会と新聞部のやり取り!」
 と、美奈ちゃんが少し興奮した様子で言う。
「配ってた新聞部の人間がすっごい噛み付いてさ、なかなか渡そうとしないの。ヒステリー起こしてるっぽかったね。生徒会の方が一年の――書記の子、分かる? 背の低い、ほら中学生みたいな男の子――あの子だったから余計可哀想な感じだった」
「それ、その、配ってたのって……女の子じゃなかった? 二年の」
「そーそー、清水って気の強そうな子。なに望、知り合い?」
「知り合いってほどじゃなくて……名前知ってるかな、って。それくらいなだけ……」
 やっぱりというか、思った通り過ぎる。単に配ってただけじゃなくて、きっとこの記事を書いた当本人なんだろう。今のところ鈴村からも拓海君からも何も連絡は入っていないけれど、当然二人の耳には入ってるはずだ。不機嫌度MAXに達してるだろうその姿が、想像したくなくても目に浮かぶ。今日はもしかしたら、購買部往復回数の記録を更新しちゃうかもしれない。
「でも、新聞部も賭けに出たよねー。印象付けには成功しても、この手のネタって盛り上がるのと、栞みたいにすごく嫌うのと、はっきり分かれるじゃん」
 美奈ちゃんがにやっと笑って、栞を見る。
 栞はというと、関わるのも嫌だと言う風にそっぽを向いて言った。
「それだけ必死ってことじゃないの」
「あ、あーそうか。新聞部も廃部対象……だからか」
 今更ながらに気付く。途端、二人から同時に厳しい目が向けられた。
「鈍っ!!」
「遅っ!!」
「自分のことで精一杯で!」
「名前載せられた部の連中は、とっくに生徒会へ抗議に行ったよ?望も行った方がいいんじゃない?」
「えー、もうすぐ午後の予鈴なりそうなのに……」
 そりゃ記事には腹立つけど。清水さんの顔みたら文句の一つも言ってやりたいけど。わざわざ揉め事が起こってそうな場所に今から顔出すのも面倒だなあ……って考えが顔に出ていたのかもしれない。さっきよりもさらに冷たい視線がぐさりと突き刺さった。
「――行くべきですよねー、今すぐ。はい行ってきます」


 追い立てられるようにして教室を出て、生徒会室のある特別教棟へ向かった。扉を開けてすぐ、一階の吹き抜けのところで、言い争う声が頭上から降って来た。声高に叫んでる内容がここまで丸聞こえだ。相当ヒートアップしているらしい。うんざりしながら四階まで上がってみると、生徒会室前には各部の部長らしき面々と、彼らに詰め寄られている拓海君が居た。鈴村は――中にいるのか、職員室にでも行ってこの件について先生たちと話し合ってるのか――姿が見えなかった。
 ここは一応、私も抗議に参加するべき? と思ったけれど、既にスクラムというか人の壁がしっかり組まれていて、入れてもらえそうな気配がない。仕方がないので、少し離れてやりとりを観察するしかなかった。
「勝手に犯人扱いされて黙ってられるわけねーじゃん!」
「新聞部のやったこと、生徒会は許可してないんでしょ!? 明らかに違反じゃない!」
「……頭に血が上るのも分かるけど、新聞部側の言い分も聞いてみないと駄目じゃん? 一方的に責めるだけじゃ同レベルなわけだし。で、どうよ新聞部長?」
 と、拓海君から話を振られた男子が大げさすぎるほどに大きく体をふるわせた。
 新聞部長って誰だっけ? と考えていたところだったから、この態度はとても分かりやすかった。
 全体的に線が細くて、やたらと色白、神経質そう。典型的なインドア派ってかんじ。名前が思い出せない……そもそも同じ学年だったかな? と首を捻る。他の面子は、名前はともかく「あ、見たことある顔」ってすぐ分かるんだけど、彼だけは記憶になかった。もしかしたら高等部からの外部受験組かもしれない。
「どうって言われたって――」
 と、新聞部長は目線を下にしたまま口を開く。男にしてはやや高い声音だった。
「部員の一人が勝手にやったことなんだから、新聞部全体が悪いように言うなよ! こっちだって困ってるんだ、ある意味被害者だろ!」
「何だよそれ!? お前ら自己中にもほどがあるぞ!!」
「ねえ湯川君、生徒会としては当然、新聞部に責任取らせるんだよね?」
「だからー、ここで熱くなるのやめてくれるー?」
 おどけた表情で拓海君は笑っている――ように見える。だけど目が完全に据わっていて、笑顔が笑顔になってない。『お前らまとめて門前払いだ』とかなんとか、心の中のセリフが今にも聞こえてきそうだ。鈴村と違って拓海君の口調や態度は軽いし、その分気安いんだろうけど、ぽんぽんと発言するみんなを端で見ていると本当にひやひやする。
「湯川ー、生徒会からあの記事はでたらめだって正式に発表してくれよ。こっちもそれでとりあえず納得するからさ」
 それが当然だというような態度で一人が言う。他の皆も「そうだそうだ」と同意して頷いている。
 その時、心の中が『ひやひや』から『むかむか』に変わった。
 ああなんだろうこれ。嫌な感じ。たぶん今の私ってば、すごい醜い顔でみんなを睨んでるんだろうな。生徒会の肩を持つなんてこと永遠に無いと思ってたけど、これはそうならざるを得ないというか。この他人任せな態度が腹が立つ。そしてそれが当然って様子もむかつく。でも私も、完全な第三者から見たら、この人たちと同じようなものなのかも――自分はここまで無神経な人間じゃないって信じたいけど、言いきれる自信がない。
「そんなの、やましい事がないなら堂々としてればいいだけの話じゃん」
 背中を向けていた人たちがぐるりと半回転して私の方を向く。皆一様に驚いた様子だった。あの拓海君までが、ぱっちりと目を見開いて、こちらを凝視していた。
 そろそろと、自分の唇に手を当てる。口は閉じてない。開いてる。ということは、またやったのか。やってしまったのか。
 ――オギャァー!! 本音をついつい口に出してしまったァー!!
 額とか、手とか、背中とか、脇とか、いろんな場所からどわっと冷や汗が出てきた。
 はい、馬鹿でしたー。鈴村に散々言われてる通り、私は本当に筋金入りの馬鹿でしたー!!
 ぎぎぎ、と我ながら音がしそうなくらいぎこちない動きで全員の顔を見返した。拓海君に向けられていた熱い視線をそのまま全て引き取る羽目になってしまったわけだけれども、こんな人数の苦情処理をさばけるほど、私の人事管理能力は高くないわけで。
「だ、だってほら、ヘンに騒ぎ立てたりすると余計疑われちゃいそうじゃない。そういうもんでしょ。それにさ、新聞部の人もいるんだし、また記事にでもされたりして」
 そう必死に言い訳すると、視線が今度は新聞部長の方へと流れた。再び皆の注目を集めることになってしまった彼は「ヒッ」と小さく悲鳴を上げる。いきなりのことでよほど驚いたらしい。
 彼を私の身代わりの生贄にするつもりは全然なかったんだけど、結果的にそうなっちゃったっていうか、私の頭が悪すぎたっていうか、とりあえずどうやってこの場を取り繕えばいいのでしょうか!
 心の中で悲鳴を上げたその時、くくっと場違いな笑い声が漏れた。思わず声の主を振り返る。
 拓海君はまだ笑っていた。けれど顔に浮かんだ表情が作り笑いじゃなくて、嘲笑に変わっていた。その気まずい変化は他の皆も感じているようで、あれだけ騒々しかった口をぴたりと閉じて大人しくなっていた。
「なんでもかんでも生徒会がやってやらなきゃならない義務なんてないんだけど?」
 拓海君は言って、腕をぐっと掲げるように前に出し、腕時計を見せた。
「午後の授業の予鈴一分前。さんざん騒いで人の貴重な昼休み潰してくれてどうも。まだ文句があるなら放課後に来て欲しいね。ああ、俺だけで足りないって言うなら聡二朗も一緒にじっくり話を聞いてやるから」
 聡二朗、と言う名前でさっと皆の顔色が変わる。私が考えてた以上の反応だ。一体、どれだけ恐れられてんの鈴村は。
「あと、新聞部な」
 拓海君はふんと鼻で笑った。
「記事を書いた奴が誰かってことは、こっちはとっくに把握してるんだよ。前から問題行動を起こしてた件を含めて、きつく注意するよう言っておいたはずだけどなにやってんの? 四人しかいない部員の管理もできない無能部長、って呼ばれたいわけ? 注目を集めたいつもりなのか知らないけど、今後も反省が見られないようなら週末の会議を待たずに廃部措置を取るから。俺の言ったこと理解できた?」
 と、一度言葉を切ってから、ゆっくりと付け加えた。
「ねえ、日本語理解できるよね?」
 言葉と同じく、もう隠しもせずに馬鹿にしきった表情を浮かべる。きれいな形の眉をひそめ、口の端は歪み、大きな目は蔑むために細められている。整った顔でこういうことをすると、普通の人がやるよりダメージが倍になる気がする。実際、新聞部長はもう半泣きだ。薄情だけど、あの視線を向けられてるのが自分じゃなくて良かった……と、つくづく思った。たぶん周りのみんなも同じ気持ちでいるはずだ。
「理解できたら、解散」
 消えろといわんばかりに拓海君はひらひらと手を振る。それを待っていたかのように、予鈴が鳴った。拓海君に文句を言う人は誰もいなくて、時計を見て小走りで教室に戻っていった人、びくついて何度も後ろを振り返りっていた人――これはもちろん新聞部長だ。神経質というより臆病なのかも。とにかく皆、その場を離れて行った。
 私も本鈴が鳴る前にさっさと教室に戻ろうとして、後ろから襟首を掴まれて引き戻された。その手を払って、当人を振り返る。
「なに? 遅刻しそうなんだけど」
「望ちゃんは」
「うん」
「熱いのやら冷たいのやら」
「は?」
 ――意味が分からない。
 思ったそのままを伝えたら、
「それ、俺が言いたいこと」
 と返された。本当に訳が分からない。
「……というか鈴村は? こういう時の適任者っぽいのに」
「事情説明のために職員室行ってる。教師を丸め込むのは聡二朗のほうが上手いし」
「そっか、なるほど」
 適当に返事して離れようとしたら、また襟首を掴まれた。扱いがぞんざい過ぎる。猫じゃないっつの。
「聡二朗のこと気になるんだ?」
 思い切り含みのある言い方をされた。挑発だと分かっていても、むっとしてしまう。
「べつに、鈴村のことだから、中でお菓子ドカ食いしてんじゃないかなとか、お代わり持って来いとか言いそうだとか、考えただけで」
 何かを答える代わりに、完全に裏の顔をした拓海君が私を見てにやりと笑った。
「なにその顔は」
「さあー?」
 あれは絶対何か邪悪なことを考えてる顔だ。危険を感じてすばやく目を逸らした直後、拓海君の指が私のほっぺにぶさりと突き刺さった。
「ぶーたれた望ちゃんてば、最高にブサいー」
 にこにこと笑顔で言いながら、遠慮なくギリギリと指を押し付けてくる。このやろー、さらりと毒吐いたな。しかも何気に容赦ない。力込めてるだけじゃなく、爪まで立ててる。
「ホント腹立つワー、なんで俺んとこ文句言いに来るんだよ、馬鹿じゃねーの。当事者同士でやれっつーの、揃いも揃って小学生以下かよ」
「あっ、ツッ、ってか痛っ、本気でやるな!」
「俺さー、いま最高に気分悪いから歯向かうの無しね。でないと全部バラす」
「……! そ、それ持ち出すのはずるくない!?」
「ああ、ほら動くなっつの。大人しくできないわけ? さっきはこっちの味方してくれたじゃん」
「それとこれとは関係ないし、ちょっとでも共感した数分前の自分を蹴り上げてやりたい気分だよ!」
「ちゃんとフォロー入れてあげたでしょー? あれって俺なりの感謝の表れだったんだけど。あの時俺が口挟まなかったら、望ちゃん完璧に胸糞悪い偽善者に成り下がってたよねえ。あそこに居た連中全員から反感買ってたよ。話をうまく流せたのは誰のおかげだと思ってんの」
「それに関してはお礼を言うけど! だからって私に八つ当たりするのは――」
 本格的に反論しようと口を開いた瞬間、本鈴が響き渡った。
 午後一の授業は物理だ。担当の本居先生は染井先生のように笑って許してくれるような人じゃない。クラスの皆の前でネチネチグチグチしつこく文句を言い続ける、物凄く生徒に嫌われる見本のような先生だ。
「あーあ、とうとう鳴っちゃった。望ちゃん遅刻決定じゃん」
「……誰のせいだ誰の。だいたい何を他人事みたいに。拓海君だって遅刻じゃない」
「俺? 生徒会の仕事で遅れましたって言えば、『俺の場合は』普通にお咎めなし」
 拓海君は爽やかな表情で、にこりと笑った。
「日頃の行いって重要だよね!」
 チャイムが鳴り終わると、外で聞こえていた声も止み、辺りがしんと静まり返る。そこでようやく私の鈍い頭が動いた。
「は……謀ったなー!?」

 必死で教室に戻った私を出迎えてくれたのは、当然のように遅刻に対する先生からの長い説教と嫌味だった。吊るし上げから完全に開放されるまでにかかった時間は20分。席に戻るなり、栞が私の顔を見て、呆れたように言った。
「どうして抗議に行って、頬を赤く腫らして帰って来るわけ?」
 それは、私が聞きたい……。
 答える気力も沸かず、返事の代わりにがくりとうな垂れた。

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