生徒会室の前に立ち、私は深く深呼吸してから意を決して扉をノックする。すると昨日と違って、すぐさま中から返事が帰ってきた。
「あー、入って入って、どぞー」
拍子抜けしそうなくらいの明るい調子の声だった。言われるままに中に入ったけれど、ぱっと見、人の姿が見えない。あれ?と思っていると、ついたてからひっこり顔が出てきた。
「こっち、おいでおいで」
と、その人物が手招きしながら言った。
「俺のことは知ってるでしょ、一応生徒会長だし。話すのって初めてだよね?」
私はついたての傍まで行ってから、こくりと頷く。
「湯川、拓海くん」
「そう。はじめまして、よろしく上原望さん」
また名前を知られていた。しかもフルネームで。
咄嗟に顔をしかめる。湯川君はその表情の意味を読み取り、にやりと口の端を持ち上げた。
「名前はね、聡二朗から聞いた。つーか調べようと思えばそれ以上のこと調べられるしね、俺たち」
言いながら、湯川君はついたての中へ目をやった。視線の先を覗き込むと、そこには不機嫌そうな表情でソファに腰掛けている鈴村君の姿があった。
鈴村君は私をじろりと睨んだ後、足元から大きなコンビニ袋を取り出して、中身をテーブルの上に広げた。それらはもちろん、ありとあらゆる菓子類だ。その中からアンパンとシュークリームをそれぞれの手で鷲掴みにし、包装を破り捨て、かぶりつきはじめた。
昨日見た光景とまったく同じものだ。もう隠す必要が無いと言う開き直りだろうか。
そういえば、と私は湯川君の様子を覗き見た。不思議なことに、彼は目の前の状態に特に驚いた様子も無い。
「もしかして湯川君は、鈴村君のこれ……知ってるの」
「知ってる知ってる。幼稚舎の時から知ってる。それよりまず上原さん、座りなよ」
からからと笑いながら、湯川君はソファに座るよう促した。素直にそれに従うと、彼自身も肘掛の上に腰を下ろした。
「今日さ、なんか聡二朗の様子がおかしかったのね。だから問い詰めてみたら、食癖のこと見られたけど、ちゃんと口止めしておいたから平気だって言うじゃん。うわ、こいつ絶対バカだな、と思ったわけ」
「誰が馬鹿だ、誰が」
手と口を止めて、鈴村君が口を挟む。でも湯川君はそれをあっさり無視した。
「な、上原さん、コイツのことだから、強面で脅したんじゃね?」
「人聞きの悪いことを言うな。脅したんじゃない、口止めしたんだ」
口の周りに食べかすをべっとりとつけたまま話す鈴村君の姿は、行儀が悪いどころか、はっきり言って汚い。最悪だ。
湯川君は机の上に散らばった菓子を一つ掴むと、それを鈴村君の頭めがけて力任せに投げつけた。
「その態度が脅してるって言うんだよ、この鉄面皮。お前は黙って菓子食ってろ」
比較的温和、というか軽そうな湯川君の表情が見事なまでに歪む。
悪どい、根性悪そう、そんな顔つきだ。
湯川君の方が怖いって言う噂もあながち嘘じゃないんじゃ……けれど対する鈴村君も、それに負けないくらい迫力のある睨みをきかせている。
なんだ、この二人。実は、ものすごく仲が悪い?
困り果てた私を挟んで険悪な雰囲気が流れていたけれど、鈴村君が再び菓子を食べ始めると、湯川君もころりと表情を元に戻した。
「悪いねー、話の途中で。ええと、どこまで話したっけ」
と、何事もなかったかのように笑う。
「す、鈴村君に脅……口止めされたところまで」
「あ、そっかそっか。それなんだけど、もし上原さんが聡二朗の秘密言いふらしても、俺たち、誤魔化せる自信はあるんだ。けど、ちょっと面倒くさい奴らが居るんだよねー」
「面倒くさい?」
首をかしげた私に、湯川君は「あのさ」と言いながら口に手を添え、内緒話をするような仕草をした。
「聡二朗って愛想悪いって言うか、ぶっちゃけ性格悪いじゃん? そう思わない?」
それは、かなりの確率であなたにも言えることでは?と思ったが、とても口に出せるような状況じゃない。
ちなみに湯川君は声を潜めてたりしていない。だからこの話は鈴村君に筒抜けだ。けれど鈴村君は僅かに顔をしかめただけで、相変わらず菓子に食らいついていた。
「……同意を求められても。鈴村君とまともに言葉を交わしたのは、今日が初めてだし」
「そう? ま、いいや。それで、敵っていうのは大げさだけどー……非難する奴結構いるんだよね」
「あ、そういう噂は聞いたことある、かも」
「でしょ。それが正当な理由なら別にいいんだけど、つまんないことで揚げ足取ったりする奴もいるからやっかいなんだよ。いろいろ対処がね、ウザイの。俺面倒なこと嫌いだし。だから上原さんには、ぜひ黙秘を貫いて欲しいわけ」
「いやあの、だからね。私は別に、人が秘密にしてることをバラして楽しむような悪趣味は持ってないから。そんな念を押さなくても、喋るつもりないし。それじゃ、私これで――……」
と立ち上がりかけた私の腕を湯川君は素早い動きで掴み、再びソファに座らせた。
「まあまあ、そんな慌てないで。代わりって言っちゃ何だけど、俺はこいつと違って非情じゃないから、鞭だけじゃなくて、飴も用意してるし」
鞭がある時点で、何気に非情じゃないのか。笑っているのに、『まだ帰らせねーぞ』とその顔が語っているように見えるのは何故だ。突っ込みどころが多すぎだ――なんて、言えない、言えないよう。
べそをかきつつ、眉を情けないハの字にして、私は湯川君を見上げた。
「それじゃあ、あの、鞭の内容を聞いてみてもいいですか」
「それはね、上原さんが生徒会室に忍び込んで極秘書類見ようとした、って公表することだよ。分かってると思うけど、そーとーヤバイことになるからね」
それはそうだろう。皆が必死になっている時にそんなことをしようとしたことがバレたら、全校生徒から白い目で見られるのは確実。しかもそれだけでは絶対にすまないはずだ。考えただけでぞっとする。
「飴、は?」
「調理部が廃部にならないよう、俺と聡二朗とで後押ししてあげる」
「え……」
意外な申し出に私は思い切り目を丸くした。飴といったって、もっとどうしようもない様な――飴だけに飴玉一個とか――そういうものを想像していたのに。
「ホント!?」
「けど、上原さんの方でも努力してもらわないと。なにせ露骨にやったら疑われるし」
「それはもちろんがんばるよ! でも二週間切ってるのに、どう後押ししてくれるの? 会議出席者を、教えてくれる、とか?」
「会議メンバーは俺も拓海も当日になるまで分からない」
と、鈴村君が食べる手を再び止めて言った。
「その日に、教員や有力部の部長たちがくじ引きをして決定するんだ」
ちなみにそのくじを作るのは学年主任の山本だから今回はこちらで細工できない仕組みだ、と鈴村君は小さく舌打ちする。
今回は、ってなんだ。今回は、って。作成する権利があったなら細工するつもりだったと言わんばかりじゃないか。
「ま、くじ引きする面子はもう決まってるからね。それ知るだけでも結構有利になるはずじゃん?」
確かに、手当たりしだい全員にあたるよりは、対象を絞れるだけ他の部よりは有利だ。それに生徒会長・副会長の後押しがあれば、かなり心強い。俄然、やる気が出て来た。
「うんうん、結構どころかかなり助かるよ!」
「差し入れて顔を売っておけば、あっさり廃部にされることはまず無いはずだ。大抵の人間には、良心の呵責ってものがあるからな」
「念を入れて、その面子の好みとかも調べておくよ。っていっても、そういうのは聡二朗の担当だけど」
「そんなことまで教えてくれるの? ありがとう!」
かなり引っかかるところはあるけれど、結構いい人だったのかも。なんて思いながら嬉々としてお礼を言うと、
「廃部にされたからって、逆恨みして秘密をばらされたりしたら、やってられないからな」
ぼそりと呟いた鈴村君の表情は実に嫌そうで、
「そうじー、本音をぶちまけるなっての。だからお前は嫌われるんだよ。まホントのことだけどさー」
湯川君は湯川君で、軽い口調で笑いながら、腹の立つことをさらりと言ってのけた。
こいつら……揃いも揃って……!
ちょっとでも、いい人かもしれないと思った自分が情けない。もう泣きたい、と一人頭を抱えていた私に、鈴村君が声をかけた。
「上原」
と、鈴村君はテーブルの上に散乱した菓子の袋を指差す。
呼び捨てか。昼には一応『さん』付けで呼んでいたはずなのに、一日も経たないうちに既に呼び捨てか。
「なによ」
むかついたので、とびきりの仏頂面で応じてやる。
「菓子がなくなった。金はやるから購買行って適当に買って来てくれ」
「なんで私が!?」
「あ、俺も。喉乾いたからお茶おねがい」
「だからなんで!!」
鼻息を荒くする私を、鈴村君は涼しい顔で一瞥して言った。
「お前のしでかした過ちを黙って見逃してやる上に、廃部にならないよう助力もしてやるんだぞ。それくらい当然だろう」
呼び捨ての上に、お前呼ばわりか!
だけど反論するどころか、ぐうの音も出ない。
「パシリにされてるって考えなきゃいいんだよ。ほら、ハニカムの生徒らしくていいじゃん?」
「はあ?」
湯川君の言葉の意味が本気で分からず、ぽかんと口を開ける。
と、二人は同時にびしりとこちらを指差して、
「働き蜂」
そりゃあもう、見事なまでに声を揃えた。
……あの時、あの時、魔がさしていなければ……っ!
後の祭り。後悔先に立たず。昔の人はよく言ったものだ。
固まってしまっている私に、湯川君はソファにどっかと腰掛けて、ひらひらと手を振った。
「人間諦めが肝心だよ、上原サン?」
一方、鈴村君は腕時計に目を落とし、む、と眉を寄せた。
「早く行かないと購買が閉まるぞ、急げ上原」
目指す場所は二つ隣の特別教棟、一階。購買が閉まるまで、タイムリミットはあと五分。
先輩たちが引退し、やっと自由にやれると思ったら、部は廃部の危機に晒されて。さらに知りたくもなかった秘密を知ってしまうわ、弱みを握られるわ、使いっ走りにされてしまうわ。
「一分経過だ。上原、走れ」
「鬼ー! 悪魔ー!」
私は二人の手からお金を引ったくると、泣き叫びながら生徒会室から飛び出した。
いってらっしゃーい、と湯川君の愉快そうな声を背中に受け、走りながら、思う。
先輩たちにこき使われていたときの方が数倍マシだった。
これからの私の学校生活は、穏やかさとは縁遠いものに成り果ててしまったんだ――と。