卑怯だということは充分、分かっていた。けれどどうしても言わなきゃならないと思った。
よく笑う人だなあ、というのが鈴木先輩の第一印象だ。
同じ部活とはいえ、県大会常連、毎年入部希望者三桁近く、という大所帯の中では、1つ学年が違うとあまり話す機会もない。選手だろうと、マネージャーだろうとそれは同じ。だから普通なら、いい先輩、いいマネージャー、で終わってた。
だけど、鈴木先輩は門倉さんと仲が良かったから、そのつながりで俺にも声をかけてくれて、レギュラーになってからは尚更、というか、最近は俺が声をかける回数の方が多かったと思う。
「小宮君は、ほんとに門倉のことが好きなんだね」
ある時、先輩から言われたこの言葉で気付いた。
俺は門倉さんを好きだけど、門倉さんと一緒に楽しそうに笑ってる鈴木先輩も好きなんだって。
前者はもちろん尊敬、そして後者は好意だ。それも恋愛感情の。
先輩はずっと門倉さんしか見ていなかったけれど、それでも良いと思った。そりゃ、少しぐらい俺を見て欲しいって気持ちが無かったかと言うと嘘になる。でも、とにかく先輩の笑う顔が好きだった。
その先輩が笑わなかった――元気が無かった日、門倉さんが女の人と一緒に帰っているのを見かけた。
あの女の人はだれですか?なんて聞くほど、俺も鈍感じゃない。
あの女の人は門倉さんの彼女で、そして先輩は失恋したんだ。
だから次の日の部活の後、わざともたもた着替えたりして、部室に残った。先輩に「手伝いますよ」なんて、何食わぬ顔をして嘘をついた。
話すことで、先輩の気持ちが少しでも軽くなれば。そして、少しでも早く立ち直って、門倉さん以外の人に目を向けてくれるようになれば。優しさなんかじゃない。プライドのない、下心から来る行動だ。
それなのに先輩は何も言ってくれなくて、それどころか変な話題なんて振ってきたりしたから、思い切りムッとした。俺じゃ頼りないですか。なんて、口には出さなかったけど、態度には出ていたはず。だけどこの時点ではまだ――まだ少し、理性は残っていたんだ。
「門倉にね、彼女が出来ちゃったんだあ」
知ってます。その話をしようと思って、こうして待ってたんです。
「ほとんど諦めつつ、でも本音は、諦めが悪いのよねえ。心のなかで、上手くいくなって願ってるのに、外面では二人のこと応援してたんだあ」
「不毛、ですね」
何言ってるんだ、俺は。不毛なのは、自分じゃないか。
先輩の立場は、そのまま俺に当てはまる。微笑ましく見守っているフリをして、それでも諦めきれない気持ち。
すみません。俺はあなたが失恋したことを、喜んでいるんです。
後ろめたかった。なのに、すごく興奮した。
あなたのことを好きな男が、こんなに近くにいるんですよ。目の前にいるんです。
今度こそ、俺を見てくれますか?
思い切って言ってしまおうか、そう思っていた時、先輩の口から出たのは天野さんの名前。
なんで今、天野さんの名前が出るんですか。しかも面倒見が良いって。相談してたんですか。いつの間に?そんなの俺知りませんでしたよ。
でもそんな素振り見せられるはずが無い。正直、すごく焦ったけど、顔に出ないよう必死に取り繕った。頭の中に浮かぶ言葉を、精一杯並べた。そんな俺の話を、鈴木先輩はうんうん頷きながら真剣に聞いてくれて、ひと通り話し終わった後、「ありがとう」と笑顔を見せてくれた。
ああ、良かった。やっと笑ってくれた。先輩はそうして笑ってる方がいいんです。
俺じゃ門倉さんの代わりは出来ないけど――出来たとしても本当は代わりなんかじゃ嫌なんだけど、この際そんな贅沢言ってられないし――とにかく! 先輩のその笑顔が好きなんです。
ほっとしたせいで気が緩んでしまったのかもしれない。いや、自惚れたんだ。
先輩に一番近いのは、自分だって。今しかないって、妙にその気になって。口が、まるで自分のものじゃないみたいに勝手に、実に調子よく動いていた。
「先輩の相手に、俺なんてどうですか?」
挙句の果て出た言葉がこれだ。どうもこうもない。最悪だ。なんてかっこ悪い告白だ。
当の先輩は、一瞬きょとんとした顔になって、それから困ったように笑った。
「どういう意味か、わからないよ」
嘘だ。分かってるでしょう。何笑ってるんですか。人の告白を、そうやって、誤魔化したりなんかしないで下さい。
「俺は」
「部誌、書き終わったから。ほら、もう帰ろう?」
言いかけた俺の言葉を遮って、先輩はさっさと帰り支度を始めてしまった。
俺を見てない。見ようとしてない。それ以上言ったら許さない。先輩の背中が、そう言って怒っているような気がした。
今なら、引き返せる。「そうですね、帰りましょう」って、いつものように笑えばいい。そうしたら、明日からはいつも通り、俺は鈴木先輩にとって理想的な、聞き分けのいい後輩でいられるんだ。
そんなことを考えていたら、ふと、たたんであった自分のジャージが目に入った。
――瞬間、何故か。
本当に何故か分からないんだけど。突然、俺の頭の中に、天野さんの姿が過ぎった。
鈴木先輩がいつも文句を言っている通り、天野さんは確かに口は悪いし、態度も横暴だ。だけどその性格を補って余りあるほど、勉強もスポーツも完璧だし、任された事も責任を持ってきちんとこなせる。何だかんだ言って頼りがいのある人だ。門倉さんとは違うタイプだけど、尊敬している。
だけど、何故か。今は。
「俺は、鈴木先輩が好きです」
部室の中が、しん、と静まり返る。
手の平にじっとり汗が滲んできた。そして、先輩は、険しい顔で俺のことを睨んでいる。
もう引き返せない。
「人が失恋したって言うのに、どうして、そういうこと言うの」
だって、黙っていたら先輩のようになるじゃないですか。何も言わなかったから、先輩はこうして、俺に失恋話を打ち明けてるんじゃないですか。そんなに後悔してるじゃないですか。このままでいいと思っていたら、何も変わらない。
「先輩、泣かないで下さい」
「小宮君のせいじゃない……」
がたんっという大きな音を立てて、先輩は椅子から立ち上がった。勢いのついた椅子はそのまま後ろに倒れて、さらに大きな音を立てる。
追いかけようとした俺を、先輩は涙をためた瞳で再び睨みつけた。
「ついてくるな。1人で帰る」
無情に閉まった扉の向こう側から、しゃくりあげるような声が聞こえた。やがて、走リ去る足音も。
弱っている人の心に付け入るような真似は卑怯だ。それは充分過ぎるほど分かっていた。けれどどうしても言わなきゃならないと思った。
先輩の笑っている顔が好きで、泣いている顔を見たのは今日が初めてだった。
「なにやってんだ……俺」
泣き顔なんて、見たいわけじゃなかったのに。
*こちらは、別サイト用に掲載していた同名の作品を加筆・修正したものです。